【文/My Serbia】
My Serbiaファミリーの嶋田紗千さんは、昨年秋にセルビアの修道院にあるフレスコ画の修復プロジェクトを行ったことで、現地の新聞やテレビ、ネットニュース計16件が「日本人がジュルジェヴィ・ストゥポヴィのフレスコ画改修に協力」と大きく報じました。
年明けには、ラジオ・ベオグラード(セルビア国営放送RTS関連会社)とストゥデニツァ修道院(セルビアで最も由緒ある修道院の一つ)の広報ブログStudenica Infoで、インタビューが掲載され、多くのセルビア人、特に信仰深い正教徒や教会関係者、文化芸術を愛する人がこの活動に関心を持ち、感謝したそうです。
以下、Studenica Infoのインタビュー(2022/1/16)
セルビア美術とひとりの日本人
彼女の専門はセルビア中世美術史で、フレスコ研究のため、毎年夏にセルビアの修道院を訪れている。日本の美術史研究者である嶋田紗千は、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院のドラグティン王礼拝堂のフレスコに新たな息吹をもたらした。セルビアの文化遺産に対する取り組みやその重要性について嶋田はStudnica Infoに語ってくれた。特にセルビア中世美術に対する類まれな愛情について。
1. いつからセルビアの文化遺産に関心を持ちましたか?
大学三年の時にビザンティン美術史を勉強していてセルビアのフレスコ画のことを知りました。その時は紛争をしている遠い国だと感じ、まさか自分がその国へ留学することになるとは全く思っていなかったんです。
セルビアは東ローマと西ローマの文化の交流地点で、それらが融合した、とても優れた中世美術が残っています。恩師の鐸木道剛先生が紛争後、久しぶりにセルビアとヒランダル修道院へ行ってきて、その話を伺い、ますます興味を持ちました。治安も安定しているようだったので、翌年ベオグラードで研究することにしました。
2. ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院のフレスコ画を修復するのに2万ドル以上の援助が日本からされています。あなたはどのようにそれを実現したのでしょうか?
セルビアの古い聖堂は、状態があまりよくないんですよね。今、修復しなければ、維持していくことは難しくなると思って、以前に恩師がそのような協力をしていたため、いつか私もしたいと思っていたんです。
今回、在大阪セルビア共和国名誉総領事館(大日本除虫菊株式会社内)と、住友財団に資金援助をしていただきました。大日本除虫菊株式会社(金鳥)は、19世紀に創業し、ダルマチアで栽培していた除虫菊を主成分とした蚊取り線香を作っていました。ユーゴスラヴィア王国との繋がりがもともとあったので、セルビアの文化遺産を支援して下さいました。そして住友財団は「海外の文化財維持・修復事業助成」を毎年15件ほど支援しているために申請して採択していただきました。
この活動は、フレスコ画を調査するのを手助けしてくれた、すべての協力者への恩返しです。外国人で正教徒ではない私が聖堂や修道院を訪れるのに仲介者は欠かすことができないんですよ。地域によって教会のルールはちょっと違って、それを教えてくれる人が必要なんです。教会関係者と話をするのにも助けになります。神父さんたちと会話すると、その地域をよく理解できるんですよね。だから、私にとって修復への協力は自分の研究の延長線上にあって、自然なことなんです。ただ、あまりにも反響が大きくて、正直驚きました。
3. ストゥデニツァの印象、どのような経験をしましたか?
私が初めてストゥデニツァ修道院に行ったのは、2003年の春でした。前年の秋からベオグラード大学の哲学部で美術史を研究していて、春になったら、ストゥデニツァへ行くことを楽しみにしていました。
日本人の留学生友達と二人で大きなリュックサックを背負って、ベオグラードからバスに乗ってウシュチェで降りました。そこにはバスもタクシーもなくて、仕方ないので歩くことにしました。だけど、10キロはあまりにも長くて、ヒッチハイキングをすることにしたんです。30分くらいたった時にちょうど修道院へ向かう大工さんが車を停めて、乗せてくれました。修道院へ行く人は見知らぬ外国人にも優しいことに感激しました。
初めてのストゥデニツァは、山の中にあるお城のように感じました。白い大理石の聖堂は大きくて立派でした。一番見たかった磔刑図は薄暗い中、輝いていたことを今でもよく覚えています。
ここ数年は、毎年セルビアへ行くたびに訪問しています。3年前にベオグラードの恩師から美術史を卒業した修道士さんを紹介してもらったんです。彼はフレスコ画の撮影許可と僧院に泊まる許可を取ってくれ、私が到着した時にバス停で私を待っていてくれて、荷物も運んでくれました。とても親切で感激しました。
帰りのバスをその修道士さんに聞くと、「ちょうどアレクサンダル神父がチャチャックに行くから、ジチャ修道院まで乗せてくれるよ!彼も美術史を卒業した人だよ」と。二人は「あなたが望むことはすべて可能だよ!」と笑顔で言うんです。私はその頼もしさに困惑しました。彼らが何を思って非キリスト教徒の私によくしてくれるのかよく分かりませんでしたが、神父さんと奥さんとジチャに向かう時に分かりました。
神父さんは映画「おくりびと」を見て感動したといきなり仰いました。「その儀式はとても優美で愛情に満ち、家族に対する配慮があって、美しい」と。すかさず私は「あなたのリトゥルギーも同じように映りますよ」と答えました。伝統的な文化に対する尊重が日本とセルビアで似ていることに共感しているのかなと思いました。死に直面する聖職者ならではの映画の選択とその視点だと。忘れることができないとても有意義な時間でした。
4. 日本でストゥデニツァの磔刑図が、表紙になっている本があるそうですね。
はい、イギリスの府主教カリストス・ウェアが書いた「正教の道」という和訳本です。最近、偶然その本を訳した大阪の神父さんと知り合ったので、どうしてストゥデニツァの磔刑図を表紙に選んだのか伺いました。
以下はゲオルギイ松島雄一神父さんの返信
「ストデニッツアの磔刑図は、私の違和感をずいぶん和らげてくれるイコンだと感じています。数年前、家内と共にセルビアを訪れ、ストデニッツア修道院を巡礼しました。朝4時過ぎから、聖堂に行き、まだ暗い堂内で時課・早課に耳を傾けているうちに、次第に夜が明けて至聖所奥の窓から、朝日が射し込んできました。何気なく後ろを振り返ると、このイコンが。ああ、主は私たちの眼差しの向こう側から私たちに向かい合っているのではなく、私たちと同じ側から神に向かい合っていらっしゃる」という思いがこみ上げてきました。生涯忘れられない体験です。「私たちと共に受難して下さるハリストス」がおられたのです。
私たちの受難は、ハリストス・神と共にする受難へと変えられました、だから私たちも主の復活と共によみがえる希望のうちに生き得るのです。
カリストス座下の著書の表紙にふさわしいイコンだと、確信したのです。」
と神父さんは仰いました。私はこの素敵なお話を伺うことができてとても光栄でした。また、日本でもセルビアのイコン(フレスコ画)の価値を認めてくれる方がいて嬉しく思いました。
5. セルビアの何が特に好きですか?
日本人の私たちが忘れている何かをセルビア人が持っていること、それはおそらくとても原始的なもので、心に訴えかけてくるものだと感じています。そしてもちろんセルビア美術ですかね。
6. あなたはMy Serbiaでセルビアについて書いていますが、日本人はセルビアの文化や伝統をどのように感じていますか?
ほとんどの日本人はセルビアのことを知らないと思います。だから、知らない国の知らない世界に興奮しているんじゃないでしょうか。私はもっと多くの人にセルビアのことを知ってもらいたいと思っています。
7. あなたはセルビアの何が一番恋しいですか?
約2ヶ月間ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院に滞在して、ほぼ毎朝リトゥルギーが行われていました。鐘の音色、振り香炉の鈴の音と乳香の香り、神父さんのお祈りと聖歌隊とのコラボレーション、そして朝陽の輝きはとても美しく、日々微妙に変わるので、毎朝が一期一会だったんです。とっても美しかったですね。今も心に残っています。
私はセルビアの各地にママがいるので、彼女たちのハグがとても恋しいです。セルビアのママの愛情は太平洋のように広く、穏やかで、深いんですよ。なんか、安心する感じ。
8. 私たちのサイト(Studenica Info)のどんなところが好きですか? また読者へのメッセージをお願いします。
季節ごとに変わる景色と修道院の組み合わせ写真がとてもきれいで好きです。とても美しくて、静寂な素晴らしいところだと私は思います。ぜひ訪れて体験してほしいです。
【プロフィール/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』(丸善出版)に執筆。フレスコ画の調査で山の中の修道院へ行くことが多いため、ヒッチハイクがセルビアで上達した。