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漂流する美しき画家 ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリ【セルビアの女性画家・第二回】

【文/山崎 佳夏子】

20世紀前半の第一次世界大戦と第二次世界大戦の間を戦間期と呼びますが、ユーゴスラヴィア王国の一部となったセルビアでも戦間期にはたくさんの画家が生まれ、芸術に人生を捧げました。今回は、その時期にヨーロッパとアメリカで活動した画家で、詩人のミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリ(Milena Pavlović-Barili, 1909-1945)についてご紹介します。

ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリは1909年にセルビア東部の街ポジャレヴァツでセルビア人の母ダニツァ・パヴロヴィッチとイタリア人の作曲家で詩人の父ブルーノ・バリーリの間に生まれました。ミレナは生まれつき心臓が良くなく、その治療と、そして生まれた時にすでに両親は「別居婚」状態にあったため、幼い頃から移動の多い日々を送ります。母の家族のいるポジャレヴァツ、そして父のいるイタリアを行き来し、さらに教育熱心な母親に連れられフランスやオーストリアで親子二人過ごした時期もありました。

1926年にベオグラードの王立美術学校を卒業した後ミュンヘンへ行き、芸術アカデミーに入学しますが、途中で退学し、母と共にパリ、ロンドン、スペインなどを巡ります。パリを一応の拠点としつつ移動生活はさらに続き、パリ、ロンドン、ローマ、ベオグラードなどで展覧会に参加します。

ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの絵画には、当時のパリの前衛であったシュルレアリズムや形而上絵画からの影響が強く見て取れます。イタリアのルネサンス絵画を模した作品もあり、イタリアの画家のジョルジョ・デ・キリコの作品と類似する点が多くあります。また芸術活動は絵画だけでなく、多言語を操るミレナは、セルビア語、イタリア語、フランス語、スペイン語で詩を書き、発表をしていました。

1939年、ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリはヨーロッパを離れ、海を渡ってニューヨークへ行きます。そこでVogueなどのファッション雑誌や広告のイラストを描く仕事や、バレエ公演の衣装デザインの仕事をしました。1943年には12歳年下の男性とアメリカで結婚します。同年、ニューヨークで開かれたアメリカの有名なアートコレクターのペギー・グッゲンハイムによる展覧会「31人の女性による展覧会(Exhibition by 31 Women)」にて、フリーダ・カーロ、レオノーラ・キャリントン、レオノール・フィニなどの女性シュルレアリスト画家の作品と共にミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの作品が展示されました。

アメリカでの生活が軌道に乗ってきたところでしたが、ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリは1945年ニューヨークで心臓発作を起こし、36歳の若さで突然死します。遺骨は父のいるローマへと渡り、ローマの墓地に埋葬されました。

《自画像》(1938年)

ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの作品と彼女の人生を見る時、母ダニツァの存在が強く印象に残ります。実はダニツァは、セルビア王家のカラジョルジェヴィッチ家の血を引く由緒正しい家庭の娘で、彼女もミュンヘンで音楽を学んでいましたが、ミレナが生まれてからは音楽に関わる仕事をすることはなく、娘に付きっ切りの人生でした。ダニツァは、娘の絵の才能を知ると彼女を「神童」だと信じ、美術教育を熱心にさせていましたが、ミレナの病気の治療費の工面でや生活には困窮し、ミレナが絵で稼がなくてはならなかったそうです。

20世紀前半のシュルレアリズムの女性画家の中には、多文化の中に生き、複雑なアイデンティティを表現する画家がいますが、ミレナもその内の一人だと言えるでしょう。彼女は初期から後期にかけてよく自画像を描いていますが、美しい自画像の裏に母ダニツァの大きな影が見えるような気がするのです。
生前や没後すぐはミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの業績はセルビア(とユーゴスラヴィア)ではあまり知られていませんでしたが、当時のユーゴスラヴィアでは珍しいシュルレアリストの画家として1950年代から評価され始めました。1962年には母ダニツァの尽力でポジャレヴァツに「ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリ美術館」が開館されました。美術館のホームページのギャラリーには、ミレナの作品や写真が掲載されているのでぜひ一度訪れてみてください。

ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリ美術館(Galerija Milene Pavlović-Barili)【英語】


【文/山崎佳夏子】美術史家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。一時帰国を経て再度ベオグラードへ渡航し結婚。現在は0歳児の育児中。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。

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