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セルビア修道院めぐり(4)グラダツ修道院(Manastir Gradac)

【文/嶋田 紗千】

修道院めぐりは、一人で高速バスに乗って現地まで行くこともありますが、知り合いの美術史家に修道院ツアーを組んでもらうこともあります。調査したい聖堂や修道院を伝え、おすすめがあれば行先に加え、旅程を決めてから出かけます。フレスコ画の撮影許可の取得や車の手配、宿泊・食事場所の厳選をしてくれるので、個人で行くのとはまた違った面白さと安心感があります。特に一緒にフレスコ画を見ながら、語り合えるのが醍醐味です。ベオグラードの旅行代理店や総主教座でも修道院ツアーを企画しているので、そういったツアーに申し込まれて、説明を聞きながら旅するのも楽しいと思います。

今回紹介するグラダツ修道院へは、調査ツアーの後、友人宅で休養している時に、彼女の子供と旦那さんと4人で行きました。一度訪れたことがありますが、隣接しているゴーリヤ山の森林公園にアスレチックやバーベキュー施設があるとは知りませんでした。セルビア中部都市クリャレヴォから車で一時間くらいなので、地元の人たちの憩いの場のようです。

グラダツ修道院聖堂外観(至聖所側)

グラダツ修道院は、前回紹介したソポチャニ修道院を建立したステファン・ウロシュ1世(Stefan Uroš I Nemanjić, 約1223-77年)の妻イェレナ・アンジュ(Jelena Anđel, 約1236-1314年)による寄進です。イェレナの実家はハンガリー貴族でフランスやナポリのアンジュ家と縁戚であったことが知られています。夫ウロシュ1世の統治下ではイェレナは「王妃」ですが、息子ドラグティンが王になると、国の一部の支配権を得て「女王」になりました。外交で優れた能力を発揮したため、「偉大なイェレナ」と呼ばれ親しまれています。2000年以降、イェレナ研究は飛躍的に進み、小説が複数出版され、演劇や展覧会が開催されています。

諸説ありますが、イェレナがグラダツ修道院を寄進した背景には、夫が息子にクーデターを起こされ、王位を退くこととなり、予定していたソポチャニ修道院に埋葬できなくなる可能性があったからといわれます。結果的にウロシュ1世は予定通り埋葬できたので、グラダツ修道院がイェレナの墓所聖堂となったのではないかと。もちろん、元々自分の墓所として建立したというのが長年定説となっていますが、どちらであったのか興味深いところです。

グラダツ修道院の受胎告知聖堂は、切妻屋根の上に大きなドームが載り、単廊式建築です。ゴシック様式の要素(控壁、交差ヴォールトなど)が垣間見られる集中式聖堂で、セルビアではラシュカ様式に分類されます。3つに別れた至聖所が特徴的で、比較的大きな窓が一つずつあることで、東からの光を多く取り入れることができます。

グラダツ修道院聖堂内観

これまで紹介した修道院と同じく、オスマン帝国時代は廃墟と化し、20世紀になってから建物とフレスコ画の修復が行われました。その後、1990年に新しい寄宿舎が建設されて修道女たちが住める環境になりました。

フレスコ画はあまり多くは残っていませんが、現存するフレスコ画には牧歌的で優しい雰囲気の風景が見られます。そのため、寄進者が女性であったことと関係しているのではないかといわれます。外光がたくさん入って明るく、大きなドームがあって広々とし、優しいタッチのフレスコ画があることから、「一番好きな修道院はグラダツ」という友人(特に女性)が何人もいます。

ここで一番注目してもらいたいのは、「モザイク画を思わせる描写」です。中世セルビアの聖堂はフレスコ画で装飾されています。それはモザイク画よりも早く、安価に制作できるからだといわれます。とはいえ、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルにあるモザイク画への憧憬が強かったことが、テッセラ(モザイクを構成する小さい角片)を描いたことで表されています。縦横の線が見えるでしょうか。この健気なところが中世セルビア人のカワイイところだと思います。ミレシェヴァ修道院(Manastir Mileševa)でも同じような表現を見ることができます。

モザイク画を思わせる描写

最近、ベオグラードの聖サヴァ大聖堂(Hram Svetog Save u Beogradu)のモザイク画がほぼ完成したと話題になっていますが、初めてセルビアがモザイク画を取り入れたのは、カラジョルジェヴィチ家の霊廟であるオプレナツの聖ゲオルグ聖堂(Crkva Svetog Đorđa na Oplencu)です。ロシア革命で避難してきた人々の中にモザイク師がいたことで、聖堂をモザイク画で彩ることができました。モザイク画制作はお金だけでなく、技術も必要ということです。大理石を希望の大きさや形にカットし、その一粒一粒のテッセラで造形化するにはかなりの訓練と技術が必要です。今ではセルビア人のモザイク画制作者が育ち、徐々にモザイク画の聖堂が増えてきているように感じます。モザイク画は700年越しの憧れの造形表現なんですよね。

部分的に残されたフレスコ画

【文/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版(2021年7月発行予定)に執筆。フレスコ画の調査で山の中の修道院へ行くことが多いため、ヒッチハイクがセルビアで上達した。

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