
【文/竹氏 倫子】
鳥取県倉吉市の郊外にある「木工所」は、不思議な洞窟である。
もともと作業所であった空間は深い奥行きを持ち、その壁面は、足場板を組み上げた巨大な書棚によって床近くから天井の際まで覆われる。書棚は壁という壁を隙間なく埋め、それらは空間が尽きるまで続く。
書棚を占めるのは、木工所のオーナーであるアートコレクターN氏が、これまでに読了してきた本の数々である。画集、写真集、美術史研究の専門書から、歴史書、思想書、随筆等々に至るまで、書籍のジャンルは幅広い。
興味深いことに、N氏は書棚に本を置くことについて、「配架」ではなく「展示」という言葉を用いる。その真意を氏に尋ねたことはないが、個々の本は著者の生命が宿る作品であり、美術品と等価の存在であるとの思いから、展示の語を選ばれるのではないかと推察する。そうであるならば、十進分類法のような規則に従って並べる配架ではなく、一冊ずつの意義を踏まえ、しかるべき位置を検討しながら置いていく展示の方が遥かに適しているだろう。
これらの本の森の中に、N氏が収集した「Aコレクション」の美術作品が収蔵されている。多くは日本現代美術の作品であり、なかでも、N氏と協働し、H・Factoryという活動体を結成する間柄となった村岡三郎、原口典之の作品がひときわ目立つ。木工所の建物の躯体は頑丈であり、どれだけ重量のある作品を置かれても揺らがないし、沈まない。N氏の思想と思考の軌跡を伝えるコレクションを、静かに抱き続けるのにふさわしい空間だと感じさせる。
さて、このような場を会場として開かれる展覧会が、一般的なそれとは大いに趣を異にするであろうことは想像に難くない。企画展「倉吉とセルビア――ロシア・アヴァンギャルドが結ぶ精神の輪」は、木工所にて2025年5月3日、4日の二日間のみ開催された。セルビア現代美術は2016年頃よりN氏の強い関心の対象となったジャンルであり、本展は氏のコレクションによって構成されている。
展覧会は、ミラン・トゥーツォヴィッチ(以下、ミランと称す)がロシア・アヴァンギャルド界に実在した三人の人物を描いた《リーリャ・ブリークの秘密の人生》(2015年)に始まる。本作はN氏のセルビア作品収集の端緒でもあり、三翼祭壇画(トリプティーク)を想起させるスタイルが特徴的である。先に書いたように木工所の壁は本で埋め尽くされているのだから、作品を吊るすための白い壁など存在しない。この作品は自立する形状が採られているため、展覧会はもとより木工所の空間全体をあたかも統率するかのように、入り口近くの床に設置されていた。
その前には大きな机が置かれ、ミランをはじめ、セルビアの作家たちに多大な影響を与えてきたロシア・アヴァンギャルドに関する書籍を紹介するコーナーが設けられる。アレクサンドル・ロトチェンコの《ミュージアム・シリーズ・ポートフォリオ》が展示されたことも、貴重な機会だった(ミランは前掲作品を描く際に、ロトチェンコが撮影したウラジーミル・マヤコフスキーのポートレートを参照している)。また、制作における概念を重視するN氏の思いによるものだろうか、このコーナーの傍らには、日本におけるコンセプチュアル・アートの先駆者であり、コレクションの核となる松澤宥の作品も展示されていた。
木工所内に等間隔で立つ支柱の間には数本の木材が渡され、そこにはヴァーニャ・パシッチのファイバー・アート、ヴラディズラヴ・シェチュパノヴィッチの油彩画が掛けられる。さらに、広大な蔵書の層の間を縫うように、セルビアと日本の作家の作品が書籍と共に書棚の上に展示されていた。
たとえば、日本とセルビアの交流に力を尽くす翻訳家・山崎ヴケリッチ洋の蔵書を収めた「山崎文庫」の間には、ミチャ・スタイチッチの立体作品が置かれる。しかし、どの棚でも展示された書籍と作品の間に直接的な呼応関係があるとは限らず、ドラガン・バーボヴィッチの絵画的かつ抒情的な写真作品は土門拳や岩宮武二の写真集が並ぶ棚に展示されていた(この棚には、ロシア・アヴァンギャルドの影響が色濃い『FRОNT』の復刻保存版も見えた)。清潔なドイツ箱にピンで標本を止めるようなホワイトキューブの展覧会とは異なり、さまざまな書籍というノイズに囲まれ、あるいはノイズを背にして美術作品が展示されるところが本展のおもしろさでもある。
山崎文庫の下段の書棚には、日本とセルビアの双方で発表活動を行う古賀亜希子の写真作品が展示された。古賀は、ミランが2019年に53歳で急逝するまで継続的に彼の姿を撮影していた写真家である。制作中のミランを写した作品では、彼の頭部を取り巻くように、ヴァーニャ・パシッチが印画紙の上に光輪の刺繍を施している。
ミランは2018年に、刺繍をするヴァーニャをモデルにした水彩画《ここでもない そこでもない》を描いていた。本展では、ミランのポートレートの対面にある書棚に、その作品に描かれた刺繍がヴァーニャの《Untitled》(2018年)という作品として展示されている。作家履歴を見ると、ヴァーニャは2025年現在で31歳、共に絵画が展示されたヨヴァナ・トゥーツォヴィッチは35歳、その他の作家たちも30代から50代である。この展覧会で主として示されているのは、ミラン・トゥーツォヴィッチを中心に集まった若い作家たちの交流の軌跡であり、今まさに動きつつあるセルビアの現代美術の一断面であることがわかる。彼らの作品の技法は絵画・写真・立体と幅広く、内容も多様であり、容易にひとくくりにすることはできない。
会場には本展のキュレーションを行った古賀が在廊し、来場者に作家たちの関係を解説していた。その言葉を聞いていると、セルビアにおける彼らの親密な関係性が、見えない糸となって展示空間に張り巡らされているように思われてくる。
本展ではセルビアの作家に加えて、ミランと同様にロシア・アヴァンギャルドの強い影響を受けた村岡三郎と原口典之の作品も出品されていた。また、彼らと深く関わる前からこの前衛運動に関心を寄せていたコレクターのN氏が、それぞれ赤・黄・青に塗装された三台のベンツを用いたインスタレーション《ロトチェンコの窓》(2025年)を制作していたことも、特筆すべきことだった。N氏の活動や、村岡・原口との創造的な関係は、従来のコレクター像を大きく変えるものであるように思う。
さらに、本展を締めくくる位置には、この展覧会を待たずに逝去した写真家・谷口雅が生前の部屋に置いていた本棚が、書籍ごと熱海から移設されていた。かつて、写真史家の金子隆一らと自主ギャラリー「Photo gallery PRISM」を運営し、後年は教育者として古賀らを育てた谷口ならば、本展の出品作家たちの生き方をよく理解していたことだろう。それはすなわち、どんな作家も完全な孤立の中で制作を行うことなどできず、何らかの思想や地域的なつながりのもとで、互いに結び付きながら活動するということだ。
いかなる社会であれ時代であれ、人は種々雑多なノイズを浴びながら日々を生きる。そして、その中で出会える人は出会い、出会えない人には生涯かけても出会えない。膨大で多岐にわたる書籍の海を背に作家たちのつながりを示す本展は、まるで現実の世界の暗喩のようにも感じられた。
展覧会には全国から多くの美術関係者が訪れ、クローズ後もN氏と彼らとの関わりが続いていると聞く。企画展「倉吉とセルビア――ロシア・アヴァンギャルドが結ぶ精神の輪」は、会期は短いながらも人と人との出会いを言祝ぎ、強い光を放つ祝祭だったのだと思う。
【文/竹氏 倫子】美術史/写真史研究者。元鳥取県立博物館主任学芸員(美術担当)。絵画及び写真に関する論考・コラム等の執筆を行い、主な論文に「塩谷定好と『芸術写真』」(「芸術写真の時代 塩谷定好」展図録、三鷹市美術ギャラリー、2016年)、「遠藤董と美術」(『鳥取県教育の源流 遠藤董』、遠藤董先生顕彰会、2022年)等がある。近著に『鳥取県史ブックレット25 鳥取県写真史』(鳥取県立公文書館、2025年)、『個展のつくりかた 展覧会を開きたい人のためのガイドブック』(風鈴社、2025年)。

