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散歩するという生き方【セルビア移住生活:第22回】

【文/小柳津 千早

町が目を覚ます時間

セルビアの夏。町や村では、夕暮れとともに人々が自然と外に出てきます。日中の強い日差しがやわらぎ、涼しい風が吹き始めるころ、中心地にはにぎやかな声が広がります。特別な用事があるわけではありません。ただ歩くだけ──それが、この国で大切にされている習慣、「散歩」です。

セルビアに暮らすようになってから、私はずっと不思議に思っていました。なぜセルビアの人たちは、こんなにも散歩が好きなのだろう、と。「今日は天気がいいから外に行こう」「部屋にいると息が詰まる」。家の中でじっとしていることを、極端に嫌う人が多いのです。

散歩を楽しむ人の層の広さにも驚かされます。子どもからお年寄りまで、誰もがごく自然に通りを歩いています。夕暮れどきの町には、小中高生、ベビーカーを押す若い夫婦、犬を連れた家族、ゆっくりと腕を組んで歩く年配の夫婦……まるで町中の人が一斉に外へ出てきたかのようなにぎわいがあります。

門限という概念は、ほとんど存在しません。夜の21時を過ぎ、ようやくあたりが暗くなり始めても、子どもたちは広場で元気に遊び、大人たちはカフェのテラスで家族や友人と語らいのひとときを楽しんでいます。

出会いと自己表現の場

最近話題のAIに、「セルビア人はなぜ散歩が好きなの?」と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「セルビアでは、散歩はただの運動ではなく、人と会い、話し、見られるための社交的な行為です」

なるほど、「社交的な行為」と言われると妙に納得がいきます。

「人と会い、話す」ことは、散歩という行為に最も深い意味を与えているのかもしれません。町の広場やメインストリートにはカフェやバーが立ち並び、歩いていれば誰かに出会うのはごく自然なこと。そこからちょっとした会話が始まり、もともと顔なじみだった相手との関係が、さらに親密になっていきます。

「見られる」というのは、つまり身だしなみのことです。セルビアでは、散歩に出かけるときにもきちんとした装いを心掛ける人が多く、特に女性たちは化粧をし、おしゃれをして家を出ます。「たかが散歩なのに、どうしてそこまでするの?」。かつて私も、セルビア人の妻にそう尋ねたことがありました。

おしゃれをして外に出ることは、自分を少しだけ演出し、その姿を誰かに見てもらいたいという、ささやかな願いの表れなのかもしれません。特に小さな町では友人に会う確率も高く、あまりにラフな服装は社交の場にふさわしくない印象を与えてしまうこともあるのです。

「誰かに見られることを意識する=自分らしさを表現する」ことです。日常の中にほんの少し演出を加えることで、気分が高揚する。セルビアの散歩には、そんな前向きな空気が漂っているように感じます。

日本は内へと向かう時間

では、日本ではどうでしょうか。

私が日本で暮らしていたころ、夕食後に外に出ることはほとんどありませんでした。多くの家庭では、テレビやインターネットを楽しんだり、勉強や趣味に時間を使ったりするのが一般的ではないでしょうか。「自宅がいちばん落ち着く場所」という意識が根強く、外に出てまで何かをするより、家の中で過ごすことを大切にする人が多いように感じます。

一方で、セルビアのように広場やカフェが点在し、ふらりと出かけて誰かに会えるような環境は、日本にはあまり整っていません(常連が集まる居酒屋などは、例外的な社交の場かもしれませんが)。

そもそも公共空間のつくりにも大きな違いがあります。セルビアに限らず、ヨーロッパの多くの町には、広場や歩行者専用の通り、子どもが自由に遊べる広場、ベンチのある並木道など、人々が「立ち止まり、語らう」ことを前提とした空間が豊富にあります。一方、日本の都市や住宅地では、道は「通り過ぎる」ためのものとして設計されており、外でゆっくり腰を下ろせる場所は見かけません。こうした空間設計の違いが、外に出たときの過ごし方や、人との距離感に少なからず影響を与えているのかもしれません。

そもそも日本では、散歩といえば健康や運動を目的とするものであり、誰かに会うため、あるいは誰かに見られることを意識するような行動ではないのです。さらに、防犯意識の高さから、特に子どもや女性が夜に外を歩くことに慎重な傾向も見られます。そして何より、日中の仕事や学校で心身ともに疲れ切っており、夕方にはもう外出する気力が残っていない──それが多くの人にとっての現実ではないでしょうか。

暮らしの中にある、ささやかな幸福

セルビアの人々にとって、散歩は家族や友人との会話を楽しみ、関係を育み、自分の存在を確かめる場です。特別な目的がなくても、外に出れば誰かに会えるかもしれないし、何かが始まるかもしれない。そんな小さな期待が、人々を自然と夕暮れの通りへと向かわせるのでしょう。それはまた、いつもの生活に、ほんの少しの変化と喜びをもたらしてくれる時間でもあります。

気がつけば、私もこの暮らしにすっかり馴染んでいました。もともとは「ただ歩くだけの散歩なんて」と思っていた私が、今では夕食後に息子たちを誘って「町の中心までアイスクリームでも食べに行こうか」と声をかけるようになりました。子どもたちは外でアイスを食べ、大人はコーヒーやワインを片手に語らう。たとえ短い時間でも、外で家族と過ごすことで、日常とは少し違う景色が広がり、心にそっと残るような特別なひとときが生まれる。今の私にとっては、そんな瞬間がいちばんの贅沢に思えるのです。


【文/小柳津 千早】大学卒業後、セルビア語を学ぶためベオグラードに留学。そこで日本語学科に通う女性と出会い、無職の身でプロポーズをして見事成功。現地で約350人の前で結婚式を挙げる。帰国後、スポーツメディア関連会社に3年半、在日セルビア共和国大使館のスタッフとして10年間勤務。2021年10月中旬からセルビアに移住。YouTubeチャンネル「セルビア暮らしのオヤ」で現地の自然、文化を配信中も、今はちょっとサボり気味。

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