【文/岡野 要】
2025年5月3日と4日の2日間、鳥取県倉吉市にある木工所で〈倉吉とセルビア―ロシア・アヴァンギャルドが結ぶ精神の輪―〉と題された展覧会が開催された。日本で普段なかなかお目にかかることのないセルビア共和国の現代美術作品が観られるというだけでも珍しい展覧会なのだが、本展覧会の一風変わったところは、ほかにもあった。本展覧会で公開されたのは、個人コレクターN氏により集められた作品で、展覧会場となったのがコレクション作品を保管している倉庫であるという点である。日ごろ美術とはあまりかかわりのない筆者には本展覧会の内容を評する力は到底ないので、本格的な評論は専門家の方々にお任せすることにするが、セルビアとロシアにゆかりのあるいち素人の目線から本展覧会の所感を綴ることにする。
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本展覧会のタイトルである〈倉吉とセルビア―ロシア・アヴァンギャルドが結ぶ精神の輪―〉であるが、タイトルにセルビアとロシアという単語が両方入っている展覧会は本邦初なのではないだろうか。倉吉とセルビアというこれまで交差することのなかった2つの「点」が、ロシア・アヴァンギャルドというこれまた意外な「点」と結ばれることで、どんな精神の輪が生み出されるのか―実際に展覧会を観るまでは一体どんなものが待っているのか予想すらできなかった。
展覧会場に着いたときに最初に感じたのは、本当にここで間違いないのかという戸惑いであった。展覧会をやっているような場所にはとても見えなかったからである。そんな気持ちのまま会場に足を踏み入れると、セルビアの画家ミラン・トゥーツォヴィッチ(1965~2019年)の作品《リーリャ・ブリークの秘密の人生》(2015年)が出迎えてくれた。三連祭壇画のスタイルを取るこの立体作品には、左にロシア・アヴァンギャルドで最も有名な詩人ウラジーミル・マヤコフスキー(1893~1930年)、中央にはマヤコフスキーと不倫関係にあり、彼の創作におけるミューズでもあったリーリャ・ブリーク(1891~1978年)、そして右にはリーリャの夫であるオシープ・ブリーク(1888~1945年)の肖像が描かれている。どの肖像画も現存する写真を参照して制作されたもので、マヤコフスキーとオシープ・ブリークの肖像画は、ロシア構成主義の造形作家であり写真家でもあるアレクサンドル・ロトチェンコ(1891~1956年)の1924年の2枚の写真を参照していることがはっきりと分かるが、リーリャ・ブリークの肖像画はと言えば、同シリーズにあるものではなく、フランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908~2004年)が撮影した1954年の写真《リーリャ・ブリーク、モスクワ》を参照したようである(同じように両手で顔を覆ったポーズのものでは、1929年にオシープが撮影した写真も知られているが、服装や指輪の位置からして参照されたのは1954年の写真と見て間違いないだろう)。1920年代のもっとよく知られた写真ではなく、30年も後の写真を参照して描かれているリーリャの肖像画とほかの2人の肖像画のコントラストは、トゥーツォヴィッチの意図的な選択であり、この作品の最大の魅力と言っても良いであろう。老いの見える顔を両手で覆うリーリャの姿は、全体的に暗い色使いながらも、マヤコフスキーとオシープの間で神秘的な印象を与える。トゥーツォヴィッチ自身はこの作品について「秘密を知る試みではなく、秘密が不可知であることを語る試みである」と述べているが、マヤコフスキーを1930年に、オシープを1945年に亡くしたリーリャの心の内にあるものが外からは到底窺い知れないものであり、それを知られざる「秘密の人生」として提示するためにあえて年代の異なる写真が肖像画の題材に選ばれたのかもしれない。それぞれの肖像画の両側には構成主義的なデザインの装飾が施されており、題材だけでなく、様式においてもロシア・アヴァンギャルド、とりわけロシア構成主義へのオマージュが感じられる。リーリャの肖像画の左側には、若きリーリャがモデルになったロトチェンコ制作のフォトモンタージュによるポスター《レンギズ:知識のすべての分野の本を》(1925年)が小さくはめ込まれていることにも触れておく必要があるだろう(意図されたものなのかは分からないが、このポスターのリーリャの写真は、マヤコフスキーとオシープの肖像画の元になった写真と同じく1924年に撮影されたものである)。

《リーリャ・ブリークの秘密の人生》
(2015年)1
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立体作品のそばにある大きな机の上には、写真を中心とした作品と関連する書籍が所狭しと展示されていた。その中でもまず目を引いたのは、ロトチェンコの写真を集めた《ミュージアム・シリーズ、ポートフォリオ2:人物写真》である。なかなかお目にかかることの出来ない貴重な作品集が手に取れる場所にあり、それを実際に自分の手でめくって鑑賞するというのは一般的な展覧会ではできない。展示されているものをただ「観る」のではなく、自分の手で触れて、発見することを可能にしているのは、会場が美術作品の保管場所であることであろう。先ほどのトゥーツォヴィッチの作品で参照された写真を実際に手に取ることで、作品と作品のつながりを体験する―展覧会のタイトルにある精神の輪は、観覧者の能動的な解釈の中でも結ばれていくものなのかもしれないと感じた。
「秘密」というキーワードから見たとき、ひときわ印象的だったのは写真家・古賀亜希子の連作《ジュスティーヌ》6のポートフォリオである。トゥーツォヴィッチの作品同様、秘密がテーマである本作品では、南仏の村にたたずむ古城の神秘的な写真を通して、この土地がつなぐ記憶の共鳴と継承を試みている。この連作のタイトルは、マルキ・ド・サドの小説『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』の主人公の名前に由来し、連作を構成するそれぞれの写真にはマルキ・ド・サドが所有した古城の現在[いま]とそこに記憶された過去[むかし]がとらえられている。写真の一枚一枚は被写体の向こうに隠された秘密を解き明かしてくれるピースなのではなく、被写体の持つ神秘的な姿をただ静かに提示するだけである。このポートフォリオは、トゥーツォヴィッチの立体作品で主題となった「秘密」とつながり、写真の印刷に使用された因州和紙はそれをさらに鳥取という土地とつなげる―倉吉/鳥取、セルビア、ロシア・アヴァンギャルドというキーワードは、作品を鑑賞する過程で観覧者の中で静かに結びつき、精神の輪を形作っていく。ほかにも制作中のトゥーツォヴィッチの姿をとらえた写真作品《刺繍の物語》(2023年)が書籍棚に展示されていたが、この作品にはセルビア出身の若手芸術家ヴァーニャ・パシッチの手による刺繍が施されており、写真の中のミラン・トゥーツォヴィッチの姿はイコンの聖人を思わせる。こうした芸術家同士のコラボレーションもまた、精神の結びつきなしには実現しなかっただろう。
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会場の両側の壁は書籍棚になっており、膨大な書籍を背景にさまざまな美術作品が時には重なりながら至るところに展示されていた。目線を変えるたびにどこかに作品が姿を現すため、まるで何かを見つけ出すように観て回るのは新鮮な体験であった。セルビア美術の作品では、肖像画と工芸の融合したミラン・トゥーツォヴィッチの連作《美容室シリーズ》(2013年)からの4点に加え、少年の表情が印象的なヨヴァナ・トゥーツォヴィッチの《訪問》(2021年)、緻密に編み込まれた糸が織りなすヴァーニャ・パシッチの《教会》(2023年)がとくに印象に残った。遠いセルビアの芸術家の手によって生み出された作品が、芸術家同士の交流を通じて実現した展覧会〈刺繡の物語〉(2024年)7などにより日本に紹介され、コレクターの手に渡ったのちに倉吉で再び展示される―こうして結ばれた精神の輪は今後も静かに、そしてゆっくりと広がっていくのだろう。ヨヴァナ・トゥーツォヴィッチとヴァーニャ・パシッチはまだ若く、今後の活躍が期待される芸術家でもある。著名な芸術家の作品だけでなく、先進気鋭の芸術家たちの作品に触れられたことも、本展覧会の魅力のひとつであった。
本展覧会は、2026年1月に場所を東京に変えて開催されると聞く。倉吉で結ばれた精神の輪が、東京でさらに広がりを見せることを期待している。
【文/岡野 要】博士(人間・環境学)。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科准教授。専門はスラヴ言語学。主な業績に著書Didaktik des Bosnischen/Kroatischen/Montenegrinischen/Serbischen als Fremd-, Zweit- und Herkunftssprachen(Springer、2026年、共著)、著書Сећање на академика Милку Ивић: делање и научно наслеђе(ISL SASA&SRC HU、2024年、共著)、論文「初習言語としてのセルビア語と言語文化学的アプローチ」(上智大学言語学会会報第38号、2025年、単著)、訳書『地球にステイ!―多国籍アンソロジー詩集』(クオン、2020年、共訳)などがある。
- 筆者撮影(2025年5月3日) ↩︎
- Александр Родченко. Поэт Владимир Маяковский, 1924 © Предоставлено Фондом Стилл Арт. ↩︎
- Александр Родченко. Критик Осип Брик, 1924 © Предоставлено Фондом Стилл Арт. ↩︎
- Henri Cartier-Bresson. Lilya Brik, Moscow, 1954. https://huxleyparlour.com/artwork/lilya-brik-moscow/ (2025年10月15日アクセス) ↩︎
- Александр Родченко. Лиля Брик, 1924 © Предоставлено Фондом Стилл Арт. ↩︎
- 古賀亜希子個展〈Justine〉(Wada Fine Arts) https://wadafinearts.com/jp/archives/2025/exhibitionjp/akikokoga_justine/ (2025年10月15日アクセス) ↩︎
- 展覧会〈刺繍の物語 Прича о везу〉 https://stepsgallery.jp/exhibition-20240221/ (2025年10月15日アクセス) ↩︎





