【文/山崎 佳夏子】
【前編】ではサヴァ川沿いのサヴァマーラの話をしたが、【中編】ではベオグラードの服飾の歴史を少し見ながら、ベオグラードの中心地に1991年に開業したチューミッチ・ショッピングセンターの歴史を紹介する。
社会主義だったユーゴスラヴィア時代、人々は洋服を手に入れる際、国営ブランドの製品を買うか、仕立て屋か個人で作ることが一般的であった。社会主義ファッションというと、地味でつまらないものなのではと思うかもしれないが、古今東西人々はいつもおしゃれを求めるもので、当時の写真や映画を見ても都市部の人々は地味すぎるという印象はない。また映画全盛期の時代だったので俳優たちの着る華やかな服装も、一般人のおしゃれ生活に大きな影響を与えていた。
それでも「西ヨーロッパ」への憧れは強く、敏感な人は輸入されたドイツの洋裁雑誌Burdaなどで西側のトレンドを掴んでいた。ユーゴスラヴィアでは西ヨーロッパに行くことも可能だったので、スロヴェニアとの国境に近いイタリアのトリエステに行き、衣服を個人的に買い込み国境を越える時に重ね着をしまくって国内にに持ち込むということも頻繁に行われていた。
そんなユーゴスラヴィアに、1990年代になってベネトンなどの西ヨーロッパのブランド品を販売するチューミッチ・ショッピングセンターが誕生したのは画期的なことであった。開業したばかりのチューミッチはベオグラードのSOHOと呼ばれ、日本で言えば銀座の並木通りのような感じであろうか、人々はこの場所で買い物をすることに憧れ、地方からも人が訪れる観光地であった。

しかしその直後、スロヴェニア、クロアチア、ボスニアの独立を機にユーゴスラヴィア解体が始まる。国際社会から経済制裁が行われ、チューミッチにあったブランドショップは全て撤退してしまう。
「オフィシャル」なブランド品はなくなったが、海外で不法に仕入れたブランド品がチューミッチで販売されるようになった。そしてチューミッチには、セルビア義勇隊「アルカンの虎」のリーダー、ジェリコ・ラジュナトヴィッチ(通称アルカン)が経営する両替所があった(註: 当時ハイパーインフレで、日々価値が下がり続けるユーゴスラヴィア・ディナールをドイツ・マルクへ両替する必要があった。その名残でベオグラードには個人の両替所が今もたくさんある)。
アルカンは戦争中に数々の戦争犯罪を起こした人物だが、マフィアの親分的な組織力や行動から不良や右翼の間で「祖国の英雄」と見なされていた。セルビアの国民的歌手のツェツァとの結婚は超ビッグカップルの誕生としてテレビ中継されるなどし、アルカンはセルビアの人誰もが知る有名人だった。
実際アルカンが全てを取り仕切っているという訳ではなかったそうだが、アルカンの両替所がある場所としてチューミッチは「アルカンのシマ」というイメージが着いた。また、妻のツェツァがここで買い物をしていたため、彼らに憧れる人たちにとってチューミッチは有名なデート兼買い物スポットでもあった。

チューミッチはテラジエ、デチャニ通り、マケドニア通り、ヌシッチ通りなど、ベオグラード中心地のいくつかの主要な通りから入ることができる変わった作りをしている。街の中心地でミロシェヴィッチ政権に反対するデモが開かれ警察によって大きな通りの道路封鎖が行われた時は、チューミッチは市内を抜ける「バイパス」として使われていたという。
政治情勢の変化だけでなく、2000年にはベオグラードにも屋内型のショッピングモールができはじめたという理由もあり、チューミッチに足を運ぶ人は減っていった。中心地にあるが大通りからは見えないチューミッチは店舗としてのメリットがなく、空き店舗が増えていった。それは今は道をぶらぶらして、気分転換にスピーディーに買い物することが当たり前だが、昔はブティックや仕立て屋を訪れてゆっくりと衣服を選んでいたという買い物文化の変化の影響だとも言えるだろう。
このように、戦争によってベオグラードの秩序や経済は破壊し、羽振りのいい人々が集まっていたチューミッチも勢いを失い、ほとんど廃墟のようになってしまった。

しかし、2010年からPunkufferというモード・ユニットを中心にベオグラードの若手ファッションデザイナーが集合する場所としてチューミッチの刷新を試みた。一部のエリアをBelgrade Design Districtと改称し、海外の流行を取り入れたローカル発のブランドショップがここで新しいお店を始めた。
Belgrade Design Districtが始まった初期は本格的なモード服のブランドが多かったそうだが、現在は古着屋やストリート系、ナチュラル系など、様々なタイプのローカルファッションブランドのお店が並んでいる。どこも少量生産でベオグラードにしか店舗を持たないブランドが多い。
アパレルだけでなく、アクセサリーショップ、ギャラリーやコスメショップ、本屋、スパイス専門店など多種多様だ。また、1991年にチューミッチができた時からこの場所に暖簾を掲げ、ここの栄枯盛衰を見てきた毛皮店も健在である。

「ショッピングセンター」として作られた構造のせいか、それぞれの店舗は独立しているが、働く人たちの出入りは流動的であり、それぞれがほどよい距離感で連帯し、一種のコミューン的空間を成している。

今も、チューミッチは知っているがBelgrade Design Districtができてから来たことがないというベオグラード市民は結構いる。街の「バイパス」としての使い方を知っている者もいるが、入口がどこにあるのか全然知らないという者も多い。荒れた感じはまだまだ残っているが、チューミッチのそのオルタナティヴな感じを私は気に入っている。
次回【後編】ではチューミッチのギャラリーを紹介する。
参考
“Uspon i pad Čumićevog sokačeta”, Momir Trudić, Vreme, 21.mart 2012.
場所情報
Belgrade Design District
住所: Čumićevo Sokaće, Beograd 11000
【文/山崎 佳夏子】美術史研究家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。


