My Serbia(マイセルビア)

セルビアの美・食・住の情報が集まるライフスタイルマガジン

世界中の誰もが分かるようにセルビア語を喋れ!

【文/高橋 ブランカ】

故郷セルビアを後にして26年経ちました。年に一度の里帰りを欠かさずしてきましたが、去年はコロナの流行で初めて帰れませんでした。そして今年の春、夫の転勤でドイツのフランクフルトに行くことを周りに告げたら、知人たちは口を揃えて「いいですね!お母さんに会えますね」と言いました。しかし…、地理的にうんとセルビアの近くに来ても、未だに母と妹に会えずにいます。予防接種をしていない人は州(フランクフルトはヘッセン州)を越えて移動ができません。ましてや国境を超えるなんて。セルビアに帰って接種するのも手ですが(ご存知かもしれませんが、セルビアはもう多くの人が接種し終えています)、二回打たなければいけなくて、かなり長く滞在しなければなりません。そして何かがあったら…と悪い結果を想定して、ためらっている次第です。

ところで、フランクフルトにいても、故郷に帰っているかのような時が多いです! しかもセルビアという故郷よりも、ユーゴスラビアという、より広い意味の故郷です。街の至る所で通りがかりの人の話しているセルボ・クロアチア語が耳に入ります。フランクフルトには全ての人種の人が住み、ドイツ人は少数民族であるような気がするほど外国人が多い所です。いや、フランクフルトだけではありません! 全国放送のニュース番組を観ていると、現在のドイツの人口構造がいち早く見て取れます。キャスターの7割ぐらいはアラブ系です! サッカークラブの監督は流暢なドイツ語を話しても、名前を見ると「あ、ボスニア人」だと分かるし、申し分のないドイツ語で説明しているITコンサルタントもまた、名前からして疑いようのないセルビア人です。

家の近くにチェバプチチ等のボスニア料理の小さなレストランがあります。名前はずばり「サラエボ」です。店内で食事ができないコロナの時代ですので、持ち帰りのみですが、母国語で注文ができるのは嬉しい。そして住んでいる通り、アパートの向かい側にあるパン屋さんで働いている三人の女性は皆!旧ユーゴスラビア出身です。三人はそれぞれ違う訛りで話していて、パンを買うたびに本当にあのいい国、大人になるまで住んだ国に帰ったかのような気持ちになります。又は、クストリッツァ監督の映画に入ったかのような時さえあります。

写真提供:高橋ブランカ
写真提供:高橋ブランカ

歩行者天国のツァイル通りで多くのストリート・アーティストが居て、色々な演奏と歌が聞こえてきます。私の心を一番動かしたのはセルビア、マケドニア、ボスニアの有名な歌を歌った三人のジプシーでした。青空市場で野菜等を買った後で市場のファーストフード店で買ったサンドウィッチをベンチで食べていたら小さい頃から何度も聴いた歌が聞こえてきて、食べ終えても暫くは聞いていました。物乞いの多いこの街で、何もしないでただ腕を伸ばしてお金を催促している人にお金をあげる気にはなりませんが、一生懸命に演奏して歌っていたこの三人にコンサート料を気持ちよく払いました。主人と私の近くに座っていたジプシーの夫婦、まさにクストリッツァ監督の映画から出て来た様な典型的な格好をした二人が何と、セルビア語で会話をしているのを聞いた時に、爆笑しました。映画は人生を真似るこことはしばしばあっても、人生が映画の真似をすることもあるのだね~、と思って今も思い出すと微笑んでいます。

私の祖父は人生の最後の数年間は耳が遠くて、相手の言っていることが聞き取れない時に、自分の耳がダメだということを認めないで、相手がちゃんと喋らない、と主張していました。その時はいつも決まって「Govori srpski da te ceo svet razume!」(世界中の誰もが分かるようにセルビア語を喋れ!)と言っていました。私たち家族は笑っていましたが、今思うと…あながちお爺ちゃんは間違っていたと言えないのではないかな?

※補足

ポリティカル・コレクトネスからすると、私は「ジプシー」ではなくて「ロマー」と書くべきでした(指摘される前に自分で言います)。でも「ジプシー」のままにしておきます。

第一の理由は、最近報道で使われているのを除けば、セルビアでは誰も「ロマー」と言いません。余りにも不自然すぎる。そもそも「ジプシー」という言葉自体は差別用語ではありません(諸説はありますが、エジプトから来ていると勘違いされて、「ジプシー」と呼ばれるようになった、という説は、私は一番説得力があると思います)。ジプシーの呼び名が数多くの文学作品に出ています。民族の所属を指すために、当人の外見と生活様式を表すために。ジプシーをけなす作家もいれば、美化をする作家もいます。でもみんなは「ジプシー」と言います。したがって、呼び名が問題ではない、ということが明らかになります。描写の仕様です。クストリッツァ監督の映画を観てみてください!ロマーは一人もいません。ジプシーしかいません。セルビアの他の映画監督もこの自由で、どこに住んでも自分のアイデンティティーを失わない人たちを、ジプシーと呼びながら、賛美しています。

第二の理由は、最近流行っている盲目的なポリティカル・コレクトネスにあります。度合いが過ぎて、融通が利かない運動は日々増えていて、私は参加したくないです。ジプシーの話に戻りますと、少ない例外を除けば、ポリティカル・コレクトネスに染まらないで未だに自分のことを「ジプシー」と言っている人たちに私はわざわざ「ロマー」と言いません。

第三に、私も黒髪で肌も黒っぽいから、小さいころからジプシーと間違えられました。「ロマー」にではなくて「ジプシー」に妙な親近感を昔から持っています。


【文/高橋 ブランカ】作家、翻訳家、写真家、舞台女優。旧ユーゴスラヴィア生まれ。ベオグラード大学日本語学科卒業。1995年に来日し、その後日本に帰化。日本人夫の勤務で在外生活(ベラルーシ、ドイツ、ロシア)、2009年から東京、2021年よりドイツに住む。著書は『最初の37』(2008年、ロシアで出版)、『月の物語』(2015年、セルビアで出版、クラーリェヴォ作家賞受賞)、『東京まで、セルビア』(2016年、未知谷)、『クリミア発女性専用寝台列車』(2017年、未知谷)。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets