【文/山崎 佳夏子】
ベオグラードの中心地から坂を下ったところにあるドルチョル地区は、トラムの通るツァーラ・ドゥシャナ通りを境にアッパーエリアとロウアーエリアに分かれる。ドナウ川沿いに近いロウアーエリアは、少し前までは生活感のある住宅地に時々劇場だったりレストランがあったりし良い風情だったのだが、近年再開発によって豪華な集合住宅が次々と建ち初始めており、またそれに準じた新しいカフェやショップなどができ、たった数年で全然別の街になってしまったような印象である。
それに対して坂道にあるアッパーエリアは店舗の入れ替わりはあるがさほど変化はなく、立ち並ぶカフェの狭い道に置かれたテラス席では平日昼でも人々が集まってコーヒーを飲んでおり、相変わらず賑やかだ。そんなアッパードルチョルの喧騒から少し離れたところにあるギャラリーがモデルナ・ガレリヤ・ベオグラード(Moderna Galerija Beograd)だ。
モデルナ・ガレリヤは、一見「近代美術館(Modern Gallery)」のような名前だが、販売を目的としたギャラリーだ。取り扱うアーティストは1970~80年代あたりに活躍していたアーティストばかりで、それらのアーティストの販売を行う一方でもうすでにコレクターや美術館の手に渡っている作品を借用して展覧会を開きセルビア近代美術をプロモートする活動も行っている。つまり、ギャラリーだがすでに高い評価を得た一流の作品が見られる無料の美術館でもあるのだ。
モデルナ・ガレリアで2022年10月28日〜11月24日まで開催されたのが、セルビアのバナト地方出身のアーティスト、ミレナ・イェフティッチ・ニチェヴァ・コスティッチ(Milena Jeftić Ničeva Kostić, 通称ミレナJNK)の展覧会「雲の中の虹(Duga u oblaku)」だ。ミレナJNK(1943-2021年)は、ベオグラード応用美術大学の舞台衣装科を卒業し、ベオグラードにある「ドゥシュコ・ラドヴィッチ子ども劇場」に勤め人形、衣装、劇場美術制作の仕事に27年従事していたアーティストで、画家としても活動し、彼女の作品はベオグラード国立美術館やベオグラード現代美術館などに収蔵されている。
今回の展覧会で初めて彼女の作品を生で見たのだが、作品の絶対的な世界観に一瞬で魅了された。カタログを買い、彼女がマルチな仕事をしていたこととドゥシュコ・ラドヴィッチ子ども劇場というベオグラードで最も有名な子ども劇場に長年勤めていたことを知ったのだが、それを知りミレナJNKの絵画が趣味の延長であるとか本業の傍らというものでなく、劇場の仕事と同等な彼女の「創造」の場であったことがすぐに理解できた。彼女の作品の中には子ども劇場の世界が広がっていて、別々の仕事がお互いに影響を与えて彼女の創造の世界が作り出されているという大きな力を感じた。
そして、人形のように抽象化された人、そして仕立て屋のサロン、ファブリックプリントを思い起こさせる抽象絵画を見て思ったのが、日本の名作絵本の一冊である、にしまきかやこの『わたしのワンピース』とまったく同じ世界だということだ。自然や動物、鮮やかな色たち、女の子たちの大好きな洋服…。実は私自身セルビアで子育てをしていて、日本に比べてセルビアは圧倒的に絵本が少ないことに気がついたのだが、それによって日本は「書く」文化が強いのに対してセルビアは「話す」文化が強いので絵本が基本的に不要なのではないかということを最近思っていた。「話す」文化といえば劇場だ。ミレナJNKの場合は、セルビアの文化に合う劇場という分野で彼女の世界を表現し、ベオグラードの子どもたちはそれを見て育った。世界で話される言語が単に言葉が違うということだけでなく、その使い方や表現も異なるように、視覚文化の表現方法にも地域や文化によって合うもの合わないものがあるのではないかということをミレナJNKと『わたしのワンピース』の不思議な一致を見て思った。にしまきかやことミレナJNKは、同時代の女性で西洋近代美術の影響を受けており、子どもたちのための仕事をし、伝えているものはよく似ているが方法と生きる国が違った。美術の表現方法もまた作家の「言語」であり、その言語を適切に使えているかどうかその先に人の心を動かす力がある、そんなことを考えた。
場所情報
Moderna Galerija Beograd
住所:Strahinića Bana 8, Belgrade, Serbia
【文/山崎 佳夏子】美術史研究家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。一時帰国を経て再度ベオグラードへ渡航し結婚。2020年に生まれた長男の育児中。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。