【文/嶋田 紗千】
前回ヒッチハイクをしたことを書きましたが、その後、様々な人々と出会い、交流し、友人という裾野は広がりました。近年は友人やそのまた友人が私の修道院めぐりを助けてくれます。今回は、一つの出会いがきっかけで、あるプロジェクトが実現することになったお話を最後にいたします。
ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院があるノヴィ・パザル(Novi Pazar)まではベオグラードから高速バスで5時間半(約270キロ)かかります。2018年の初夏に訪れた時は、近くの修道院でフレスコ画の修復をしている親方とバスターミナルで待ち合わせをしました。セルビア人は時間の流れ方が特殊なため、お茶でもしながら気長に待つことにしています。
ノヴィ・パザルはイスラーム教徒が多く住む街で、チャイハネが複数あります。ここでは、曲線が美しい小さなガラスの器に琥珀色のチャイが注がれ、角砂糖が添えられます。角砂糖を浸しながら、少しずつ飲むと最高に美味しいので、久しぶりのチャイを堪能しようとしていたら、豪雨にも関わらず、遅れることもなく親方は現れました。
翌日、親方に連れて行ってもらったジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院は、2003年に私が訪れた時とはかなり様子が変わっていました。ここの歴史は、ストゥデニツァ修道院よりも古く、1170-71年という記録が残っています。寄進者は、同じくステファン・ネマニャ(Stefan Nemanja, 約1113-1200年)で、かつて王室修道院でした。
彼の息子である初代戴冠王ステファン(Stefan Prvovenčani, 約1165-1228年)が書いたネマニャの伝記『聖シメオン伝』(シメオンとは、ネマニャの修道士名で、死後聖人となり、聖シメオンと呼ばれる)によると、ネマニャは兄たちとの覇権争いで洞窟に幽閉された際、聖ゲオルグに助けてもらったことから、彼に捧げる修道院を丘の上に建てることを約束したという伝説があります。実際に修道院は見晴らしのよい高台に建立されました。
「ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ」という名称は、諸説ありますが、「ゲオルグの柱(複数形)」という意味で、聖堂の正面に塔が二つあったことから、のちに命名されたといわれます。敷地内には、聖堂、宿坊と食堂があるほか、ネマニャの曾孫にあたるドラグティン王(Stefan Dragutin Nemanjić, 1244-1316年)によって建立された礼拝堂があります。彼は死後そこに埋葬され、今も眠っています。そしてその内壁には美しいフレスコ画が残されています。
聖堂は、ストゥデニツァ修道院と同じ建築様式(外観がロマネスク様式で、内部構造がビザンティン様式による融合建築)で「ラシュカ様式」と呼ばれます。ドームが大きく独特なフォルムで、真下から見上げると楕円形をしています。ドームの基部が円形なら均一な力で支えられますが、楕円形ではバランスをとるのが難しいため、この地方では大変珍しい構造の建物です。フレスコ画は残念ながらほとんど残っていません。
14世紀末にオスマン帝国によってセルビアが支配され、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院もその影響を受け、修道士はこの地を去りました。17世紀末、墺土戦争で修道院は大幅に壊され、その後、大火に見舞われました。1912年のノヴィ・パザル解放戦ではオスマン軍が留まったため、大砲が放たれ、そして第二次世界大戦では、ドイツ軍の燃料庫として使用されました。
悲劇的な状況をたくさん経験した修道院の改修工事が行われ始めたのは、第二次世界大戦後のことです。しかし、継続的には行われず、本格的に実施されたのは、ユーゴ紛争とコソヴォ紛争が落ち着いた21世紀になってからです。聖堂建築が補強され、宿坊が再建され、そしてやっと修道士が住めるようになりました。修道院自体は、世界遺産「スタリ・ラスとソポチャニ修道院」(1979年)として認定されているため、科学的な証拠が乏しいことで聖堂正面の二つの塔は途中までしか造られませんでした。
ところで、冒頭で紹介した修復家の親方は稀に見る用意周到なセルビア人でした。数件の修道院と聖堂を訪れるにあたり、前もって聖職者に連絡し、フレスコ画の撮影許可をとってくれたので、スムースに調査してくることができました(これはバルカンでは奇跡です!!)。特に独立した聖堂は通常施錠されているため、鍵の管理者を探さねばなりません。その土地を知らないと意外と難しい作業ですので、親方の存在は本当に有り難かったです。
案内してもらっている間、親方から色々な修復の話を聞きました。特に資金集めは難しいとのことで、微力ながらお手伝いすることにしました。この度、三回目の申請でやっと助成が受けられることとなりました。セルビアの文化遺産を保護できることや、保存修復に関わる人々の活躍の場を増やすことができ、とても光栄です。この秋、ドラグティン王礼拝堂の壁画修復プロジェクトを行います。その話はまた今度。
※いち早くご寄付に名乗り出てくださった在大阪セルビア共和国名誉総領事館(大日本除虫菊株式会社内)の皆さま、そして住友財団に深く感謝いたします。
【文/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版(2021年7月発行予定)に執筆。フレスコ画の調査で山の中の修道院へ行くことが多いため、ヒッチハイクがセルビアで上達した。