【文/嶋田 紗千】
セルビアの南東部にある山「スヴァ・プラニナ」(乾いた山の意)は尾根が45キロ、幅が15キロもあり、名称の通りほとんど樹木がない、乾いたような山です。その麓にある小さな小さな村の小さな聖堂。それがヴェリキ・クルチミル昇天聖堂です。
私は4年前にその存在を知りました。昨年友人イェレナちゃんのお父さんミタさんが近くのレスコヴァツに住んでいるため、車で連れて行ってもらいました。
山を越え、谷を越え、曲がりくねった道を何度も越えた先にある村の中心地を訪れると、新しい聖堂のドームが見えました。しかし、聖堂の門が見当たらず、あっちこっちの道で何度も行き止まり、戻り、また進む。結局、3人目に出会った村人に門まで案内してもらって、やっと辿り着くことができました。
新しい白い聖堂の後ろに小さな聖堂がひっそりと佇んでいました。切妻式の屋根と石積の壁に包まれた慎ましい姿は建設が困難だった17世紀という時代を反映しています。ファサードには最後の審判の図像が描かれ、緑色の木製の扉の上に鎮座するデイシスのキリスト像が迎えてくれます。
扉を開けると、薄暗い先に光が見え、アプシスの小さい窓が見えました。目が闇になれると、天井も壁面もフレスコ画で埋め尽くされていることに気が付きます。そこはまさに小さな宇宙のようでした。
14世紀後半にオスマン帝国に支配され、それ以降、イスラム教側の同意が得られなければ、キリスト教の聖堂は造れませんでした。そんな時期に描かれたフレスコ画は13-14世紀の華やかな色彩に満たされた聖堂とは趣が大きく異なります。地方色豊かな個性が発揮されています。
残念ながら、戦争で聖堂装飾の一部は破壊されてしまいました。しかし、長く村の人々に愛され、手入れが施されたこの聖堂は、フレスコ画に亀裂や剥落はありますが、どことなく心和む感じがします。
セルビア南東部のこの地域にはポスト・ビザンティン美術の聖堂が20軒ほどあり、その重要さを恩師のゴイコ・スボティチ先生は何度も何度も私に語りました。同じ様式の同じ画家集団によって描かれたと考えているそうです。国境を越えたブルガリア側にも同様のフレスコ画があり、当時、同じ文化圏であったことが分かるとのこと。地方様式の発展と拡散を分析することの面白さを学びました。
現地の修復家の話では、2002年に保存修復プロジェクトが練られたそうですが、なかなか実現できず、2009年になって岡山大学の鐸木道剛先生が協力したことで支援が得られて作業が行われました。その後10年以上修復費が得られず、今年新たにプロジェクトを立てることになりました。この度、住友財団と在大阪セルビア共和国名誉総領事館(大日本除虫菊株式会社内)のご支援を受けて、8月からプロジェクトを始めることができます。この続きは視察のあとにお伝えいたします。
昨年も同様のプロジェクトを立ち上げました。その様子は、こちらの動画をご覧ください。お陰様で、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院の礼拝堂のフレスコ画はこのように素晴らしく蘇りました。
【文/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師、セルビア科学芸術アカデミー外国人共同研究員。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版に執筆。セルビアの文化遺産の保護活動(壁画の保存修復プロジェクト)に従事する。