My Serbia(マイセルビア)

セルビアの美・食・住の情報が集まるライフスタイルマガジン

ウロシュ・プレディチとヴォイヴォディナのセルビア美術【ベオグラードアート通信・第5回】

【文/山崎 佳夏子

EUの欧州文化都市事業でノヴィサド市が2022年の都市に選ばれたことで日本とセルビアの間でも美術や文化の交流が行われたことは記憶に新しい。ベオグラードから約100キロのところにあるノヴィサドはヴォイヴォディナ自治州の州都で、長くオーストリア文化の影響を受けていた土地だったため、現在も首都のベオグラードと並ぶほど文化活動が盛んだ。

去年より高速鉄道ソコ(Sokoはセルビア語でハヤブサの意味)の運行が始まり、今までベオグラードからノヴィサドまで列車やバスで1時間以上かかっていたのが今は30分でノヴィサドに着くことができる。セルビアのアカデミー絵画を代表する人物の一人であるウロシュ・プレディチ(Uroš Predić, 1857-1953年)の回顧展「ウロシュ・プレディチ: 美と美術に献げた人生」(会期:2022年10月7日〜2023年2月12日)がノヴィサドのマティツァ・スルプスカ・ギャラリーで開かれていたため、高速鉄道ソコに乗って展覧会を見に行った。

ウロシュ・プレディチの自画像(1949年)(写真:山﨑佳夏子)

プレディチはヴォイヴォディナのオルロヴァット村出身の画家で、ウィーンの芸術アカデミーで絵画を学んだ。アカデミーでは優秀な成績を納め、教授のクリスティアン・グリーペンケール主導のウィーン議会の建設ではドームの部分のギリシャ・ローマ神話の壁画装飾を任されたほどだった(残念ながら第二次世界大戦で消失したようである)。

今回の展覧会は歴史画、肖像画、風景画、ヴォイヴォディナの人々の生活や子どもを描いたものなど、さまざまなジャンルの絵画を制作したプレディチの仕事がよくわかる内容となっていた。正確な技術力にも圧倒されるが、人や地域への愛情を感じさせる穏やかな雰囲気も彼の作品の特徴だ。

子どもなど「小さきもの」を描いた絵のコーナー(写真:山﨑佳夏子)

中でもベオグラード市博物館が所有しているが普段は公開されていない1389年のコソヴォの戦いを題材とした《コソヴォの少女(1919年)》はやはり印象的だった。この作品はセルビアで見たことがない人はいないと言えるくらい有名で、セルビアのアイコン的な作品だ。

《コソヴォの少女》1919年。民族叙事詩として伝わる、セルビア軍が敗北したコソヴォの戦いの戦場に現れた少女についての話を元に描かれた作品。

プレディチ作品は歴史画に目が行きがちだが、セルビア正教会のイコノスタシス(聖障)の制作をしていたことも見逃せない。イコノスタシス(スラヴ語ではイコノスタス)とは教会の祭室に当たる至聖所と信者が祈る空間である聖所を区切る壁で、通常複数のイコン(聖画)が嵌め込まれている。プレディチはウィーン留学後すぐにヴォイヴォディナ内の教会からオファーを受けて教会のイコノスタシスの制作を行っていた。

べチェイの教会のイコノスタシスのスケッチ案(1895年)。プレディッチのイコノスタシスは他にもパンチェヴォやルーマの教会にある(写真:山﨑佳夏子)

セルビアの教会美術というと中世セルビア王国時代に建てられた教会のようなビザンティン時代の伝統を守った聖人を平面的に描いたビザンティン様式のイコンやフレスコ画のイメージがあるが、プレディチの生まれたヴォイヴォディナの18世紀以降のセルビア正教会ではセルビア・バロックと言う西欧のバロック様式の影響を強く受けた宗教画が制作されていた。

少し歴史の話をすると、セルビア人がオスマン帝国支配下のコソヴォなどの南部から北部のヴォイヴォディナやスラヴォニアの方へ避難した1690年のセルビア人の大移動以降、セルビアの教会文化の中心はオーストリアやハンガリーのカトリック文化圏の中に入った。

大移動以降もセルビア人は移り住んだ土地に修道院や教会を作るのだが、教会は正教会の伝統的な形をとりながらも、装飾は当時のカトリック美術の代表的な様式であったバロックやロココ様式を取り入れる。特に正教文化にカトリック美術を融合させたウクライナ・バロックからの影響が強く、ウクライナから画家が来て指導を受けた。

ヴォイヴォディナに住むセルビア人たちはオスマン帝国の支配下にある他の地域に比べてずっと早く西洋文化にアクセスすることができた。セルビア人画家はオーストリア文化の中で西洋絵画を学び、宗教画だけでなく肖像画や歴史画なども描くようになりセルビアの近代美術を発展させていった。

プレディチはこのようなヴォイヴォディナの文化の継承者であった。プレディチと共にセルビアリアリズム絵画の三大巨匠と呼ばれるパーヤ・ヨヴァノヴィチ(Paja Jovanović)、ジョルジェ・クルスティチ(Đorđe Krstić)も皆ヴォイヴォディナ出身で、そこで育まれた近代的な精神は現在もセルビアの文化の中でとても大切にされている

《聖母子像》1904年。一般の人間をモデルにして描いているが、正教会のイコンは元々ある聖像の絵を写さなくてはならないという決まりがある(写真:山﨑佳夏子)

プレディチがヴォイヴォディナ文化の継承者として非ビザンティン的なイコノスタシスの制作を行ったことは、西欧美術が近代になるにつれて教会から離れていくことを考えると面白い。プレディチの作品には西欧の国の美術では見られないようなセルビア近代美術の独自性が現れている。

場所情報

Galerije Matice Srpske (Gallery of Matica Srpska)

住所: Trg Galerija 1, Novi Sad, Serbia


【文/山崎 佳夏子】美術史研究家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。一時帰国を経て再度ベオグラードへ渡航し結婚。2020年に生まれた長男の育児中。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets