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私はどうしてブレクがそんなに好きなの?【ティヤナの小さな物語】

【文/ティヤナ】

パン屋「トーマ」のブレク
セルビア人が大好きなブレク

セルビアに帰ると「何が一番食べたいか」とよく聞かれる。私はいつも「ブレク」と答える。

この美味しいパイには子供のころの特別な思い出がある。朝食といえば、決まってブレクと飲むヨーグルト(砂糖なし)。都会に住む人たちにとってはおなじみの食習慣だ。

1980年代のヴォジュドヴァッツ(首都ベオグラード南部の地区)。日曜日。パパから「トーマ」というパン屋までお使いを頼まれた。近所では誰もが知る有名店だ。

店の前にはたくさんの人が並んでいる。ここには定番のパンのほか、キフレ(ロールパン)、スラーニ・シュタピーチ(細長いパン)、ジュジュ(ミニパイ)などの焼きたての美味しいパンがたくさん売っている。でも、ほとんどの客はブレクがお目当てだ。

焼けたばかりのパイ生地とラードの香りが私の鼻をくすぐる。丸いプレートに入った熱々で黄金色のブレクが新しく運ばれてくる。私の瞳は輝く。

店のオーナーのトーマさんは60歳ぐらいで、粉だらけの白いエプソンと白い帽子をいつも身に着けている。彼からは生のイーストの匂いがいつも漂っている。

ブレクには3つの定番メニューがある。チーズ入り、ひき肉入り、そして中身がないプレーン。どれにしようか……いつも迷ってしまう。ママはチーズ派、パパはひき肉派、私は……その日の気分によって選ぶ派だ。この店には私が大好きな「ブフトゥレ」もある。甘いジャムが入った昔ながらの丸いパンで、自分が食べる用としてよく買うことがある。

私の番が来た。

「チーズ入りを250グラム、ひき肉入りを250グラム。あと、飲むヨーグルトを2つ」

トーマさんが熱々のブレクを取り出して白い紙で包む。でもこの紙はすぐにブレクの油で透明になってしまうのも知っている。

うちに帰るのが待ちきれない。

誰からも愛される国民食
ベオグラードのパン屋の様子

「ブレク」はトルコ語の「ボレック」が由来で、薄い生地を層にしたペストリーのことを指す。ブレクは、セルビア南部のニシュという町で、15世紀ごろにイスタンブールから来た有名なパン職人メフメッド・オグルによって紹介されたと言われている。毎年ニシュでは「ブレグジヤーダ」というブレクをPRするイベントが開催されていて、2005年には直径2メートル、100キロもある巨大なブレクが作られた。

ベオグラードはどこに行ってもパン屋だらけだ。ブレクの専門店「ブレグジニッツァ」も存在する。店名は創業者の名字を付けることが多い。例えば、ランコヴィッチ、ペトロヴィッチ、トゥルプコヴィッチといった具合で、家族経営がほとんどだ。客によってお気に入りのブレク屋が異なり、どの店が一番美味しいのかよく言い合っている。

ブレクは3つの定番メニュー以外にも、マッシュルーム、じゃがいも、キャベツなど種類が多い。甘いブレクもあり、りんごやサワーチェリーが人気だ。最近ではハム入り、ヌテラ(イタリア製のチョコレートスプレッド)入りといった新しいタイプのブレクもある。ただ、個人的には昔ながらのシンプルなブレクが一番だ。

ブレクは大きくて丸い金属製のプレートに入っている。カッターで4等分に切り分け、1人分は約250グラム。パイ生地の材料は、ぬるい水、小麦粉、塩のみ。生地を薄く広げるために、上空に投げて回転させる。生地をオーブンで焼いたら食感がサクサクになる。熱々のブレクには冷たい飲むヨーグルトがよく合う。

青空市場にはパイシートの専門店があり、家庭でもブレクを作ることができる。主婦の中には自分で生地を練り、薄く広げることができる強者もいて、称賛される。だけど、パン屋で売られているブレクのあの特別な食感にはやっぱり勝てない。

ブレクはセルビアの近隣国でも人気だ。ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは「ブレク」と言えばひき肉入りのことを指す。チーズ入りのブレクは「シルニッツァ」と呼ぶ。セルビアやバルカン半島の人々のブレクに対する愛情は計り知れない。「ブレクを売っている店はつぶれない」と言われるぐらいだ。

私は何年か前に引っ越しをして、ヴォジュドヴァッツ地区を離れたが、昨年、久しぶりに思い出の土地を訪れる機会があった。ヴォイヴォデ・ステーペ通りに並ぶ古い家々はモダンな高層ビルに建て替えられていた。子供の時に閉館してしまった映画館はそのままで、暗く悲惨な姿で私を迎えてくれた。皆が集まった教会は当時と同じように美しく残っていた。トーマさんのパン屋はもうなかった。それでもブレクの香りはベオグラードの朝を包み込み、私たちを誘惑し続けている。

<了> ※次ページはセルビア語


【文/ティヤナ】セルビアの首都ベオグラード生まれ。ベオグラード大学日本語学科で日本語を学ぶ。2001年に来日。2002年よりユーゴスラヴィア連邦共和国(当時)大使館で秘書として働き始め、現在に至る。「えいごであそぼ」「ニュース シブ5時」「ワタシが日本に住む理由」「ヒルナンデス」雑誌『dancyu』などメディアに多数出演。ニキズキッチン英語料理教室でも活躍中。一児のママ。

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