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セルビア修道院めぐり(8) ツルナ・レカ修道院(Manastir Crna reka)

【文/嶋田 紗千

2021年のある日、コソボのプリシュティナに住む友人ボヤナさんから、「ヴラダさんがノヴィ・パザルのスーパーであなたを見かけたと言っていたよ」とメッセージが届いた。この二人とは、2018年にコソボの修道院群を調査した際、セルビアのベオグラードにいる友人を介して知り合い、調査への協力を得た仲だった。

グラチャニツァ修道院、ペチ総主教座修道院、デチャニ修道院、ボゴロディツァ・レヴィシャ聖堂、スヴェティ・アルハンゲリ修道院、ヴェリカ・ホチャ聖堂、ゾチシュテ修道院、リピリャン聖堂など14世紀のフレスコ画を堪能する私の壮大な夢は、彼らの協力によって実現したのである。

ボヤナさんによると、現在ヴラダさんは山奥のツルナ・レカ修道院に身を置いており、たまに近くの町ノヴィ・パザルへ買い出しに出るという。私は9月から11月頭までフレスコ画修復プロジェクトでノヴィ・パザルにある修道院に滞在していたので、おそらくその時に見かけられたのだろう。

コソボ生まれのヴラダさんは、高校に該当する神学校を卒業してからベオグラードの神学部に進学し、卒業後は地元の教会を手伝いながら神父になる準備をしていた。彼が修道院にいると聞いた瞬間、修道見習いになったのだとすぐに合点がいった。

彼が修行をしているツルナ・レカ修道院は、洞窟を覆うように建造物が岩肌に張り付いた独特な造りで、「岩窟の修道院」として有名である。セルビア、コソボ、モンテネグロの3国が国境を接する山岳地帯に位置するため、交通の便は極めて悪い。とりわけ高台の修道院へ至る道は、道路というより曲がりくねった険しい山道であり、対向車とすれ違う際には路肩ギリギリまで寄らねばならずスリル満点だ。まさに秘境にある修道院といった感じだ。

ツルナ・レカ修道院外観

「ツルナ・レカ」とは、「黒い川」という意味で近くを流れる川の名称から、修道院名が付けられた。13世紀頃に建立されたといわれるが、はっきりした記録が残るのは17世紀以降のことである。おそらく、最初は洞窟を庵として暮らす隠遁者がおり、その数が徐々に増えて修道院へと発展していったのだろう。

この修道院には5つの特色がある。①岩肌に建つ独特な建造物、②16世紀のフレスコ画、➂コリシャの聖ペトロの聖遺物、④デヴィチの聖ヨアニキイェの庵、⑤聖なる水である。これら魅力あふれるツルナ・レカ修道院を少し覗いてみよう。

①岩肌に建つ独特な建造物

この修道院で一番目立つのは、岩壁と一体化した建造物である。洞窟のくぼみを覆い隠すように4階建ての建造物が建てられており、手前の人工部分と奥の洞窟部分が巧みに組み合わされた内部構造となっている。かつては聖堂、食堂、寝室として使用していたが、現在は、聖堂としての役割が主である。修道士の生活空間や作業場は、門の近くにある別の数棟に移されている。

岩壁の建物の手前には、小さな谷があり、橋が架かり、2階に通じる。1階には聖なる力を信じて訪れる病人の部屋と小さいバルコニー、2階には3つの修行用小部屋とバルコニーがある。

薄暗い石の階段を上がって3階の手前に、聖ミカエルが出現する場というのがある。3階には、居間(旧修道院長室)、洞窟をそのまま活かした控えの間、そして谷側に聖堂とバルコニーがある。

控えの間では、大きな燭台に灯された無数のろうそくが岩肌を幻想的に照らし出している。小さな入口を抜けて聖堂に入ると、半円形ヴォールト天井を戴く長方形の空間(単身廊)が広がり、イコンが並ぶ小さなイコノスタシス(聖障)の奥に半円形の至聖所が設けられている。

木造の階段で4階へ上がると、やや広めの部屋と厨房、大きいバルコニーがある。やや広めの部屋は以前食堂であったそうだが、今は2段ベッドが多数あって巡礼者の宿坊となっている。

石の階段
控えの間
聖堂のファサード
聖堂の内観
聖堂裏のバルコニー

②16世紀のフレスコ画

大天使ミカエルとガブリエルに捧げられた聖堂のフレスコ画は、16世紀末に画家として活躍した修道士ロンギン(1530年頃~1610年頃)の手によるものといわれている。というのは、1601年3月20日に完成したとイコノスタシスに銘文が残されているため、フレスコ画はそれ以前に完成したと推定される。

オスマン帝国の支配下で、200年近く途絶えていたセルビア・ビザンティン様式の絵画技法をロンギンは復興させて、数々のイコンやフレスコ画をセルビア地域に残した。天井に描かれたデイシスは煤とほこりで黒ずんでいるが、緊張感と迫力のある描写となっている。そのほか、狭い聖堂内には、受難伝と十二大祭の場面がうまく配される。

ロンギンのフレスコ画

③コリシャの聖ペトロの聖遺物

13世紀の隠遁者ペトロは、コソボのプリズレン近郊にあるコリシャ村の洞窟で修行した禁欲主義者として有名である。はっきりしたことは分かっていないが、著述家テオドシイェ(14世紀ヒランダル修道院の修道士)が書いた聖人伝によると、ペタルはプリズレン近くの村で生まれ、成長したのちに自ら洞窟へ赴き、修行を始めた。数々の困難に見舞われながらも、神と大天使ミカエルの加護を受けて悪魔(竜、蛇)を退治し、諦念に達した。光に包まれた洞窟を神聖な地とするよう啓示を受けた彼は、そこを洞窟聖堂と定め、やがて多くの信者が集う場所となった。

自らの死期を悟ったペタルは、一人の弟子を受け入れ、洞窟聖堂内に自らの墓を造るよう言い残してこの世を去った。数年後、お告げによって、墓を掘り返すと、腐敗を免れており、甘い香りと不思議な力を持っていた。それは病を癒し、悪霊を追い払う力である。そのため、ペタルは聖人として列せられた。遺体は不朽体として洞窟聖堂で尊ばれ、そこは「コリシャの聖ペトロの庵」と呼ばれるようになった。その後、18世紀頃、治安が悪化し、庵が荒らされそうになったために、ここツルナ・レカ修道院に不朽体は移され、今も保管されている。

ちなみに不朽体とは、読んで字のごとく「朽ちることがない体」という意味で、聖人の証の一つである。聖人の尊い偉業に敬意を払い、そのご遺体(または一部)・遺品を聖堂内に安置する習慣がある。これら聖なる品々(聖遺物)に対する信仰を「聖遺物崇敬」と呼び、キリスト教文化圏ではよくみられる。

現在、ツルナ・レカ修道院の聖堂にある聖ペトロの不朽体は、布に包まれて、木製の棺に収められている。通常、蓋は閉められているが、お祈りの時や修道司祭が立ち合いの場合のみ開かれる。棺は台座に乗っており、下段にマットレスが敷いてあって寝そべりながら祈ることができる(私も試してみたが、かなりスリリングな体験であった)。

聖ペトロの棺

④デヴィチの聖ヨアニキイェの庵

この洞窟で修行していた隠遁者、のちに聖人となったデヴィチの聖ヨアニキイェの祈りの場も残されている。ヨアニキイェは除霊の力がある尊者といわれ、ここで修行した後、デヴィチ村に移り住み、死後、デヴィチ修道院で奉られる。

聖ヨアニキイェの庵

⑤聖なる水

床こそ舗装されているものの、洞窟のままの状態の控えの間には、奥に岩の窪みがあり、山から染み出した水が絶えず滴り落ちている。この水は「大天使聖ミカエルの水」と呼ばれ、昔から眼病治癒に効くと伝えられる。現在、聖ミカエルのイコンが供えられ、「投げ銭はしないで下さい」という注意書きが張られ、手前に賽銭籠が置かれる。

大天使聖ミカエルの水

2022年秋にヴラダさんを訪ねて初めてツルナ・レカ修道院へ赴いた。修道院では案内係の修道士が丁寧に対応してくれた。修道見習いという立場にあるヴラダさんは、俗世の人間とあまり関わることができないのだという厳しさを改めて痛感した。

短時間だったが、ヴラダさんに会えてよかった。とても生き生きとして、逞しくなっていた。暖をとるのに修道院の敷地で木を伐採し、斧で小さく切断して薪にする。私が訪れたのは、ちょうど彼がそんな作業をしている頃だった。山奥の修道生活は心身ともに人を強くすると実感した。その後、修道士となり、今では修道司祭(神父)となって祈りの日々を送り続けている。


【文/嶋田 紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師、セルビア科学芸術アカデミー外国人共同研究員。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版に執筆。セルビアの文化遺産の保護活動(壁画の保存修復プロジェクト)に従事する。

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