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冬休みの最後に息子と釣りに行った話【セルビア移住生活:第6回】

【文/小柳津 千早】

5歳の長男が通うプレスクール(就学前教育)の冬休みが終わり、1月17日から学校が再開しました。休みの間、長男からは「あとどれくらい寝たら学校が始まる?」と何度も聞かれました。これは学校が楽しみということではなく、大晦日やクリスマス(※セルビア正教は1月7日にお祝い)を家族で過ごした時間がいつまでも続いてほしいという気持ちの表れでした。

登校日が近づくにつれて、私は長男に同情するようになりました。「先生や友だちとまた会えるのが楽しみだね」と長男の生活を学校モードに徐々に移す作業を繰り返していました。再開する2、3日前、念を押すように「もうすぐ学校だよ」という言葉をかけると、「お父さん、学校、学校って言わないで。それを聞くと学校が嫌になっちゃうから。僕はもう準備できているよ」と返してきました。私は「そうなんだね」と笑顔で振る舞いましたが、強がりにも聞こえ、内心は「どうせ泣くだろうな」と疑っていました。長男には週明けの月曜日になるとよく泣いていた時期があったので、それよりもずっと長い休みなら泣かないわけがないと思っていたからです。楽しい冬休みは息子の生活の切り替えスイッチをさびつかせるには十分でした。

冬休み最終日、長男は突然「池で魚釣りをしたい」と言いました。正直、冬に釣りをするのは寒いし、釣果も期待できません。道具やえさを用意するのも面倒くさい。そもそも明日から学校が始まるので今日は家でゆっくりと過ごして、学校の準備をしようと考えていました。そのため長男の気勢をそぐように「魚は寝てて釣れない。どうせつまらないよ」と冷淡に答えました。それでも息子はあきらめません。何度かごねた後に「今日は冬休み最後の日だから自分がやりたいことをしたい。お父さんは僕のやりたいことを応援してくれない」と強く主張したのです。

その言葉に私ははっとして、長男の気持ちを一方的に押さえつけていた自分を恥じました。私は「親の役割は子どもの自立をサポートすること」だと思っています。でも、この時は手助けするどころか阻害していたのです。何よりも長男が冬休み最後の日と自覚していること、今日一日の過ごし方と明日から始まる学校再開への覚悟を決めていることに驚きました。私はすぐに釣り場へ車を走らせました。

ただ、結果的に釣りをすることはできませんでした。池が凍っていたのです。最初に行った近所の公園にある小さな池も、その後に行った郊外にある大きな湖も凍っていました。長男は湖を見ながら泣いていました。「春になって暖かくなったら、また来ようね」と慰めても、悔しさがあふれるばかりで、すぐに納得できません。はるか遠くの湖面で泳いでいた白鳥を見て「あそこなら氷がないから、釣りができるじゃん」と押し通します。

結局、この日は釣りをあきらめて、街中のカフェにアイスを食べに行きました。しばらく不機嫌だった長男は大好きなバニラアイスを食べているうちに徐々に気持ちが落ち着いたのか、湖が凍るという初めての自然現象を目の当たりにしたことに関心を向けるようになりました。「なぜ湖は凍ったのか」「魚も一緒に凍ってしまうのか」など、思いがけない楽しいやり取りが生まれました。帰宅時には「今日は釣りができなかったけど、暖かくなったら魚はおなかが減るから、その時にたくさん釣れるよね」と気持ちを切り替えていました。残念ながら釣りはできませんでしたが、冬休みの最後に心に残る体験をしました。

翌朝、長男は眠い目をこすりながら、服を着替えて、学校へ持っていくかばんの中身をチェックしました。この日のために新調した新しい上履きの履き心地をもう一度確かめました。久しぶりの登校で泣くかもしれないという心配事は杞憂に終わりました。学校へ向かう車の中で長男は「凍った湖のことを友だちに言うんだ」と興奮気味に話していました。


【文/小柳津 千早(おやいず ちはや)】大学卒業後、セルビア語を学ぶためベオグラードに留学。そこで日本語学科に通う学生と出会い、無職の身でプロポーズをして見事成功。現地で約350人の前で結婚式を挙げる。帰国後、スポーツメディア関連会社に3年半、在日セルビア共和国大使館の通訳として10年間勤務。2021年10月中旬からセルビアに移住。YouTubeチャンネル「セルビア暮らしのオヤ」で現地の自然、文化を配信中。

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