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ベオグラードに舞い降りた天才画家カタリーナ・イヴァノヴィッチ【セルビアの女性画家・第三回】

【文/山崎 佳夏子】

連載「セルビアの女性画家」ですが、最終回となる今回は前回のミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの時代から約100年さかのぼり、セルビアの近代の歴史画や王族などの肖像画を描き、「セルビア初の女性画家」と呼ばれた19世紀の画家のカタリーナ・イヴァノヴィッチ(Katarina Ivanović, 1811-1882)をご紹介したいと思います。

カタリーナ・イヴァノヴィッチは、1811年にヴェスプレーム(現在はハンガリー共和国の都市で、当時はオーストリア帝国に属していた)のセルビア人商人の家庭に生まれました。一家はセーケシュフェヘールヴァールへ引っ越し、カタリーナは大人になるまでの時間をその町で過ごします。幼少期からカタリーナは絵画の才能を発揮しており、先生をつけて絵画を学んでいました。

大人になったカタリーナ・イヴァノヴィッチは、さらに絵画を学ぶためにペシュト(ブダペスト)へ行き、1830年から五年間ペシュトの画家のヨゼフ・ぺスキーのアトリエで学びます。しかしこの時、両親が二人とも亡くなるという悲劇が彼女に降りかかります。厳しい困難が訪れましたが、幸運なことに彼女はハンガリー人のチャキ伯爵夫人という人に財政的な支援をしてもらえることになり、ウィーンで学ぶチャンスを掴みます。

《自画像》(1836年)この時代のセルビア絵画の最高傑作の一つ。

カタリーナがウィーンに来た1835年は、女性が正式にウィーン美術アカデミーに入学することはできませんでしたが、女性向けのコースが創設されており、彼女はそこで四年学びました。さて、このころのウィーンはセルビア語正書法の父ヴーク・カラジッチがセルビア語言語改革で大活躍していたころ。ヴーク・カラジッチの周りには彼に賛同するセルビア人が集まっており、カタリーナもそのセルビア人コミュニティの中に入ります。実は彼女、ハンガリー語とドイツ語は子どもの時から話せましたが、セルビア語は話せず、ウィーンに来てからセルビア語を学び始めたと言われています。

《1806年ベオグラード解放》(1865-73年)トルコ軍を制圧するセルビア軍の様子。真ん
中で剣を振りかざし立つのはベオグラード解放の英雄ウズン・ミルコ。

約六年のウィーン滞在が終わり、その後イタリアやフランス、オランダなどのヨーロッパ各地を旅行し西洋美術の巨匠の作品を見て研究してから、ミュンヘン芸術アカデミーで二年間歴史画を学びます。そして1846年についに、カタリーナ・イヴァノヴィッチは初めてセルビアのベオグラードを訪れます。

当時のベオグラードは、オスマン帝国の支配に対する二度の蜂起の後に成立したセルビア公国の首都でした。ヨーロッパ化が徐々に進むベオグラードで、彼女は王族や市民の肖像画を描き、そして第一回セルビア蜂起のリーダーであるカラジョルジェが率いた1806年のベオグラード解放の戦いを題材とした歴史画の制作を始めました。

カタリーナ・イヴァノヴィッチはベオグラードに一年だけ滞在し、再度ヨーロッパ各国を周ってから1848年にセーケシュフェヘールヴァールに帰郷し、亡くなる1882年まで故郷で過ごしました。

《イタリアのぶどう農家》(1842年)イタリアに滞在していた時に描いた作品。

カタリーナ・イヴァノヴィッチは歴史画に強い関心を持ち、セルビアやハンガリーの歴史を題材とした作品をいくつか残しましたが、最も評価されたのはビーダ―マイヤー様式と呼ばれた市民文化や日常に目を向けた肖像画や静物画の作品でした。人間や果物の一部一部を正確に捉えており、彼女が高い技術力を持っていたことがよくわかります。

本連載の第一回で取り扱ったナデジュダ・ペトロヴィッチも、カタリーナ・イヴァノヴィッチと同じようにミュンヘンへ留学しましたが、19世紀末に留学したナデジュダの時代はミュンヘン芸術アカデミーで女性が学ぶことはできませんでした。カタリーナの時代は厳しい条件が付いていたとは思いますが、ヨーロッパの民族主義の気運が高まる19世紀にアカデミー絵画の頂点とも言える歴史画をセルビア人女性の彼女がミュンヘンのアカデミーで学んでいたことは大変興味深いことです。

当時のセルビア公国はオスマン帝国からの独立運動の真っ只中で、学校制度の整備も始まったばかりでした。男女関係なく教育水準が著しく低かった時代に、カタリーナのようなヨーロッパで絵画の高等教育を受けた画家の存在はセルビアでは非常に稀でした。カタリーナ・イヴァノヴィッチは、自身の作品の一部をベオグラードの国立美術館に寄付し、1876年に女性として初めてセルビア・アカデミーの会員に選ばれています。

さて、本連載は今回で最後となります。いかがでしたでしょうか。今まで紹介した三人だけでなくセルビアには他にもたくさんの女性画家がいますが、このカタリーナ・イヴァノヴィッチ、ナデジュダ・ペトロヴィッチ、ミレナ・パヴロヴィッチ=バリーリの三人の活躍は抜きんでていると私は思っています。今のセルビアの社会でたくさんの女性の活躍が見られるのは、このような先人がいるからかもしれませんね。

ナデジュダ・ペトロヴィッチは25歳の時に「私は画家でいたい。女性ではなく。女性はたくさんいる。」と言いました。この三人の画家の内、誰一人として子どもを産んで家庭を持った者はいませんでした。「普通の女性」ではなく「画家」になることを選択したこの三人ですが、強い覚悟の裏にはきっと色々な感情があったのだろうと思います。男性画家の陰ではない彼女たちの作品は、まばゆい光を放つ一等星のようにセルビア美術史の中で輝いています。今まで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。


【文/山崎佳夏子】美術史家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。一時帰国を経て再度ベオグラードへ渡航し結婚。現在は0歳児の育児中。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。

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