My Serbia(マイセルビア)

セルビアの美・食・住の情報が集まるライフスタイルマガジン

現代美術の行方〜ベオグラード現代美術館のムルジャン・バイッチ展を見て〜【ベオグラードアート通信・第4回】

【文/山崎 佳夏子】

ベオグラードを訪れた人でもベオグラード現代美術館へ行ったことがある人は少ないだろう。まず2007年から2017年までの十年間は改装のため閉館していたので、戦争が落ち着いて日本からセルビアを訪れる人が増えた時期に開いていなかった。そして美術館は旧市街からサヴァ川を隔てた向こうの新市街(ノヴィ・ベオグラード)の大きな公園の中にあるので存在に気づきづらい。

正面から見たベオグラード現代美術館。右側のバスはバイッチの作品

しかし実はベオグラード現代美術館は歴史的に重要なスポットだ。ベオグラード現代美術館はセルビアがまだ社会主義のユーゴスラヴィアだったときユーゴスラヴィアの現代美術を市民に見せる場所として1965年に開館した。建物は吹き抜けで5階からなり、階によって天井の高さが異なる複雑な構成をした建物になっている。

ベオグラード現代美術館は社会主義の国で初めて“コンテンポラリーアート(あるいはモダンアート)”と名のついた美術館だ。国の名前に付く“社会主義”に矛盾するように聞こえるが、ソ連と仲違いした後のユーゴスラヴィアはアメリカ路線とも言える政策をとっており、ニューヨーク近代美術館の精神を取り込んだとされるこの美術館も、ユーゴスラヴィアのその特徴的な文化政策を象徴するものの一つだった。当時はこの地のアーティストだけでなくアメリカのポップアートや日本の具体の展覧会なども開かれ、市民に世界の現代美術を見せる場として親しまれていた。

さて、そのような歴史を持つベオグラード現代美術館だが、ユーゴスラヴィアの消滅と閉館を経て立場が揺らいでいるように見える。2017年10月の再オープン後の展覧会を簡単に振り返るが、再オープン一発目のコレクション展は1920年代の社会美術やゼニット、スロヴェニア構成主義、シュルレアリズム、1950~60年代の具象画や抽象画、1970年代のコンセプチュアルアートなど、1990年以前のユーゴスラヴィア美術が一堂に見れる展覧会で、十年間の埃が落とされたような充実した内容であった。それ以降の展覧会は、全館を使った個展が基本で、例えばこの地域出身の者では前衛芸術家のイリヤ・ショシュキッチ(Ilija Šoškić,1935- )の回顧展(2018年)や画家のヴラディミール・ヴェリチュコヴィッチ(Vladimir Veličković, 1935-2019)の回顧展(2021年)などが開かれた。

また、マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović, 1946-)の回顧展(2019年)もメディアで大々的に宣伝され多くの集客を集めた。海外のアーティストの展覧会もあり、フランスのファッションデザイナーのジャン=ポール・ゴルチエの展覧会(2020年)やオーストリアの前衛芸術家のエルヴィン・ヴルム(2021年)の個展が開かれた。セルビアに縁があった訳でもない外国人アーティストが招致されて個展を開いてなぜそうなるのかよくわからないが、ヴルムはこの時ベオグラード美術大学の名誉博士号を貰ったそうだ。

上記のショシュキッチ、ヴェリチュコヴィッチは人生の大半をユーゴスラヴィア出身者として過ごしたアーティストだが、今回のムルジャン・バイッチ(Mrđan Bajić, 1957-)の個展「信頼できない語り手(原題: Napouzdan pripovedać) 」(会期: 2022年9月24日~2023年1月23日)は、セルビアのアーティストと呼べる世代のベオグラード現代美術館での初めての個展になる。

バイッチはベオグラード美術大学彫刻科を卒業後、奨学金を得てパリに留学、1997年からベオグラード美術大学彫刻家の教授の役職を得て創作活動を行っている。バイッチがアーティストとして活動を始めるのは1990年頃、セルビアがミロシェヴィッチ政権になった頃だ。セルビアの1990〜2000年代の美術シーンは複雑で、ナショナリスティックな作品や、ミロシェヴィッチ政権を批判するもの、戦争のトラウマ的体験や、経済制裁の影響、社会主義ユーゴスラヴィアの喪失を表すものなど、一枚岩ではなかった。

バイッチはその時代とアーティストとしての経歴が重なっている。この個展「信頼できない語り手」は、戦争と経済制裁による物質不足の影響ですでにあるものを使って作られた(レディメイドの)彫刻をメインにバイッチの学生時代のものから最新の作品までを展示した回顧展的な内容となっている。

上には社会主義を象徴する捻じ曲げられたタトリンの塔と鎌とハンマーに資本主義を象徴するIBMの字が乗る。
Yugomuzejの一部。大量生産されたものであろう食器と古い写真の上に爆撃の写真を写したクッションが落ちる。

バイッチの作品の中で最も有名なものが1989年から2004年まで拡大しながら制作されたYugomuzejだ。Yugoはユーゴスラヴィアのユーゴ、muzejは博物館を意味する。テーマは明解で、ユーゴスラヴィア時代の象徴的なものを集め、博物館に収めることでものたちを過去のものにするのだ。

そのものたちは、生活に関係するものから、イデオロギー、象徴的な出来事のイメージなど多種多様である。普通の博物館と異なるのが、その「モノ」をそのままに展示するのではなくバイッチによるコラージュや付け加えがなされていると言う点だ。ユーゴスラヴィア時代の懐かしむ「ユーゴノスタルジー」と言う日本の「昭和レトロ」のような今はなきユーゴスラヴィア時代の商品やデザインを懐かしむ傾向がここにもあるが、Yugomuzejにはそのような温かな雰囲気はなく、おどろおどろしさや暗さが目立つ。

社会主義体制の転覆後の象徴的な出来事にレーニン像の引きずり落としという行動があるが、バイッチの作品にそれをなぞったものがある。レーニンというアイコンと歴史を知る私たちは作品が社会主義体制の転覆を意味することが分かるが、バイッチの作品からは不思議なことにその象徴以上の、アーティストと作品との間にあるはずの物語が聞こえてこない。彼の作品はスケッチを含め巨大なものが多いが、大きさに対して作品が鑑賞者に語りかける声は小さい。

存命かつ中年世代でベオグラード現代美術館で個展を行うことは、ムルジャン・バイッチが今のセルビアを代表する美術家であることを意味している。この「信頼できない語り手」展は彼のキャリアを網羅するものであったが、巨大な彫刻作品は90年代頭にキャリアを始めた時から最新のものが並べられているのに、アーティストの時代的な変化がわかりにくかった。

そのことに落胆したのだが、その一方でバイッチはセルビアの現代美術を象徴しているのではないかとも思った。形だけが存在し中身がなく「作品の理解は鑑賞者に委ねる」と説明をほぼ排したバイッチの彫刻作品は、90年代から続く不安定で自信のないセルビアの社会を表しているように思える。セルビアのアーティストはコレクターに作品が買われることよりも、国に作品を買われることに依存していると聞いたことがあるが、バイッチなどのセルビアの現代美術を見て感じる不自由な感じにはそのような悪しき習慣も影響しているのかもしれない。

ユーゴスラヴィアが消滅し、存在の目的が変わってしまったベオグラード現代美術館。過去の遺産を守りながら新しくセルビアの現代美術館として歩むことが望まれるが、今後この場所で若手〜中堅で個展ができるアーティストがいるのだろうか。この大きな展示スペースを使って展示ができる国内のアーティストの育成はセルビア美術界の一つの課題となるだろう。また、冷戦下の現代美術と今の現代美術とはどう変化したのか、ベオグラード現代美術館の立場の揺らぎを見て、改めて芸術とは何か考えたいと思った。

場所情報

Muzej Savremene Umetnosti Beograd(Museum of Contemporary Art, Belgrade)

住所:Ušće 10, Blok 15, Belgrade, Serbia


【文/山崎 佳夏子】美術史研究家。ベオグラード在住。岡山大学大学院在籍中に1年半ベオグラードへ留学し、セルビアの近代美術の研究をする。一時帰国を経て再度ベオグラードへ渡航し結婚。2020年に生まれた長男の育児中。主な著作に『スロヴェニアを知るための60章』(共著、明石書店、2017年)、『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』(共著、明石書店、2019年)(共に美術の章の担当)。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets