【文/ティヤナ】
セルビアに一時帰国していた8月の初め、昨年まで東京に住んでいた親友ドラガナとボリスの結婚式に出席しました。
セルビアで結婚式を挙げるとき、新郎新婦はそれぞれ立会い人を一人選びます。男性側はセルビア語で「クム」(ベストマン)、女性側は「クマ」(メイド・オブ・オナー)と呼ばれます。私は光栄にもドラガナから「クマ」に招待されました。
「クム」と「クマ」は、結婚を見守る証人やスピリチュアル・アドバイザーとして機能し、しばしば子供の名付け親にもなります。セルビアの文化では、このような役割に選ばれるのはとても名誉なことなのです。
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結婚式はハンガリー国境に近いセルビア北部の美しい町、スボティツァで行われました。午前中、私は花婿が花嫁を「買う」という古くからの習慣に立ち会いました。花婿が弟もしくは「クム」と一緒に花嫁の家を訪れ、彼女の家族と「値段の交渉」をするのです。 花嫁を無事に「買った」後は、結婚式の儀式のためにセルビア正教の教会に移動。司祭は結婚を祈りながら白い衣で二人の右手をつなぎ、頭に冠をかぶせます。「クム」と「クマ」はキャンドルを持ち、最後に二人に手渡します。
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儀式の後、私たちは美しい市庁舎に移動し、結婚証明書に署名しました。続いて、パリッチ(Palić)湖畔にある、ブドウ畑に囲まれた美しいレストラン「ズヴォンコ・ボグダン・サラシュ」(Zvonko Bogdan salaš)で披露宴が行われました。
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約150人の招待客が出席し、中には日本からはるばる駆けつけたドラガナの友人も数名いらっしゃいました。披露宴では音楽バンドがセルビアや外国のヒット曲を演奏し、テーブルにはおいしいセルビア料理が並び、ワインやラキヤ(果物の蒸留酒)が振る舞われました。セルビアの披露宴は朝まで続くことが珍しくないですが、この日は午前2時に終わリました。
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興奮と喜びに満ちた一日でした。私はとても緊張しましたが、ドラガナとボリスはリラックスした様子で、とても幸せそうでした。彼らはノヴィ・サドで新しい生活を始めます。次回はノヴィ・サドで再会するのを楽しみにしています。
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【文/ティヤナ】セルビアの首都ベオグラード生まれ。ベオグラード大学日本語学科で日本語を学ぶ。2001年に来日。2002年よりユーゴスラヴィア連邦共和国(当時)大使館で秘書として働き始め、現在に至る。「えいごであそぼ」「ニュース シブ5時」「ワタシが日本に住む理由」「ヒルナンデス」雑誌『dancyu』『婦人公論』などメディアに多数出演。ニキズキッチン英語料理教室でも活躍中。一児のママ。