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ファッション観察記録2025年夏【ベオグラード雑記帳・第6回】

【文と絵/竹内 まゆ

ベオグラードの夏、真っ青な空から太陽の強い日差しがまっすぐ降り注ぐ。雨が少なく乾燥した真夏の日々はサボテンが喜びそうな気候だが、人間が暮らすには厳しい季節だ。例年並みだがようやく暑い夏が終わったところで、この街の人びとの様子を記録としてまとめてみた。

真夏の覇者

ある日の午後4時、犬の散歩のため公園を訪れると、ほとんど人がいない。本当に暑い日は公園からも人が消え、ポップコーンスタンドさえも閉まっている。ここにいるのは同じような境遇の(仕方なく散歩に来ている)犬飼いだけ…かと思いきや、上半身裸の高齢男性に出くわす。公園内をブラブラ歩いたり、ベンチに座って日光浴をしたり。身体にいいのか悪いのか不明だが(悪い気がする)、太陽を味方につけていることだけは確かだ。堂々とした佇まいは夏の覇者という感じがする。ベオグラードの街の中心部ではさすがに半裸でうろつく男性は見かけないが、都心から離れた場所ではこんな光景も日常だ。中高年男性が上半身に何も着ない状態で家の中や屋外のパティオで過ごしたり、近所に出没したり…。

人びとがどんな服を着ているかについて記事を書こうと思ったはずなのに、気がつけば服を着ていない人間について書いてしまった。記事のタイトルに”ファッション”という言葉を用いたが、都市における最先端の流行(モード)を追いかける内容ではなく、庶民の生活文化の記録としてご覧いただければ幸いである。

(2025年10月時点で1セルビアディナール=RSDは1.49円)©Mayu Takeuchi
薄着の女性たち

さて、次に服を着ている人々について書きたい。肌の露出が多くなる季節、若い女性たちはクロップド丈のトップスにショートパンツという組み合わせが多い。胸の谷間が強調されるような服や背中の大きく開いたワンピース、スポブラにレギンスのみという格好で出歩く人もいる。

日本での暮らしとのもっとも大きな違いといえば、ノーブラで出かける女性が一定数存在するということだ。日本では「ノーブラ」といえばすぐに性的コンテンツと結びつけられがちだが、ここでは”ただの状態”にすぎない。セルビアにおけるノーブラ派は、抑圧からの解放やフェミニズム的な思想によるものでなく、単純に楽だから、自然体でいたいからという理由が多いのではないかと思う。仮にブラなしでTシャツ姿で出歩いたとしても、男性からの視線を集めるようなことはなく(見られることはあってもチラ見程度)、ましてや盗撮されるなんていうことはあり得ない。男性側の極力”見ないようにする”モラルとスキル(もしくは慣れ?)に支えられている現象ともいえるのかもしれない。

個人的にセルビアに移住してよかったことNo.1は、女性として生活する上で、何でもかんでも性的に見られない自由があるということだ。女性がノーブラで出歩くことについては賛否両論あると思うが、ブラなしで人目を気にせず堂々と街中を歩くという選択肢が存在するだけでも、セルビアの女性たちがのびのびと暮らしていることを実感できる。

©Mayu Takeuchi
見かけなくなった奇妙な日本語

セルビア人男性の夏の服装は、Tシャツに短パンという格好一択だ。春を過ぎ、上着の要らない季節になるとTシャツが姿をあらわすが、しばしば見かけるTシャツにSuperdry(スーパードライ)のものがある。Superdryは2003年に立ち上げられた英国のアパレルブランドで、このブランド名の和訳は「極度乾燥(しなさい)」と、なぜか命令形が括弧書きで記される。

Superdryは欧州のみならず、北米、南米、オーストラリアや中東の国々、さらにはアジアまで世界40か国に進出している。異国で暮らす日本人にとって、街中でもっともよく見かける祖国の言葉は「極度乾燥」という奇妙な四字熟語だったかもしれない。今でこそ他のアパレルブランドもこぞって日本語の文字や日本を連想させるモチーフを製品のデザインに取り入れているが、Superdryはその先駆け的な存在だったのではないだろうか。しかし近年、このブランドを運営するSuperdry plc社は経営不振に陥り、デザインの方向転換が図られ「極度乾燥(しなさい)」が消えつつある。いざなくなってみるとちょっと寂しいものだ。

©Mayu Takeuchi
政治的な主張とファッション

昨年の今頃にはなかった人びとが身につけているものといえば、リュックやエコバッグに取り付けられたさまざまな種類の缶バッジだ。一見すると、おしゃれの一環として取り入れられているように見えるのだが、政治的なメッセージが込められている。

多くのMy Serbiaの読者にとっては既知の事実かもしれないが、背景を説明しておきたい。2024年11月1日、ノヴィ・サド駅舎の屋根崩落事故により、1名が重症を負い16名の人びとが亡くなった。この事故の責任を追及すべく、抗議デモがノヴィ・サド、ベオグラードのみならずセルビア全土で発生。デモ活動を主導しているのは学生たちで、大学も数ヶ月にわたって封鎖された。若い世代の行動に他の世代も突き動かされるかたちで、大規模な反政府デモに発展している。

缶バッジを身につけているのは学生や若い世代が多いが、彼らより上の世代の人たちもいる。街中に出ると、デモがない日でもバッジをつけている人を見かけない日がないくらいだ。いつの間にかデモが日常の一部となっている。缶バッジの円のなかに表現されているのは、デモのスローガン、政権への批判、学生を支持する内容などだ。バッジのデザインが若い世代の普段着になじむ見た目であることも理由だと思うが、カジュアルに政治がファッションに取り入れられていると感じる。政治に対する意思表明をファッションに取りこむことの敷居がどんどん低くなってきているというか、もはや政治的主張をまとうことがファッションになってきているとも言える。

いずれにしても、かつてないほど、自分たちの大切な日常とそれを支えるべき政治を自らの力で変えていくべきものだという強い意識が、人びとのあいだに生まれていることは確かだ。事故発生から一年後となる今年の11月1日にも、きっと大規模な集会が計画されるにちがいない。

©Mayu Takeuchi


©Mayu Takeuchi

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