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鐸木道剛先生を偲んで

【文/嶋田 紗千

岡山大学と東北学院大学で長らく教鞭をとられ、ビザンティン美術史・日本近代美術史をご専門にされた、鐸木道剛(すずき みちたか)先生が2024年2月15日に73歳でご逝去されました。

鐸木先生は1976年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(現・セルビア共和国)のベオグラード大学でビザンティン美術史を研究し、その後も現地の研究者たちと交流を続けていました。そのようなご縁から去る6月8日に在日セルビア共和国大使館(品川)と日本セルビア協会の共同主催によって「鐸木道剛先生を偲ぶ会」が同大使館で開催されました。当日は8名のご友人が鐸木先生への想いを語って下さり、参列者と思い出を共有しました。

お亡くなりになられた日がセルビア共和国の建国記念日で、同大使館で記念式典が行われる中、訃報を知った駐日セルビア大使アレクサンドラ・コヴァチュ氏が黙祷を捧げて下さいました。そして大使が日本セルビア協会 会長の長井忠氏と偲ぶ会を開くことをご提案くださいました。このような機会を設けていただいたことに深く感謝申し上げます。

遺影は2009年にヤシュニヤでスボティチ先生が撮影したお写真

ご友人たちからの想い

偲ぶ会では、主催者であるコヴァチュ大使より黙祷が捧げられ、これまで鐸木先生がセルビアで行った数々の貢献に対して、感謝の意が述べられました。特に壁画修復事業や大学間協定、セルビア語教育に対する情熱について触れられました。

次に日本セルビア協会 会長の長井忠氏からは、日本セルビア協会の理事を務められた鐸木先生に対して労いの言葉と、皇居三の丸尚蔵館に所蔵されているパーヴェル・ペトロヴィチのハワイの王を描いた作品について鐸木先生が会報誌『プリヤテリ』に書かれたことが紹介されました。

長年のご友人である日本ハリストス正教会 府主教セラフィム辻永昇氏からは『ヒランダル修道院』(恒文社、1995年)を鐸木先生が訳された時に日本語でどのように正教会用語を表記すべきなのか語り合った日々のことや、日本のイコン画家である山下りんの作品について調査・研究されていた時の状況など、ユーモア溢れる性格が語られました。

鐸木先生について語るご友人の府主教セラフィム辻永昇氏

鐸木先生の経歴は、教え子を代表して岡山県立美術館 主任学芸員の橋村直樹氏によって紹介されました。先生の遺品整理をしている時に数々の貴重な写真を見つけられ、それをもとに子供時代から教職時代までの鐸木先生の歩みをご提示下さいました。最後に約30年にわたるご指導への感謝が述べられました。※下部「略歴リスト」参照

約10年間フレスコ画修復を伴う共同研究をされた、共立女子大学 名誉教授の木戸雅子氏より「イコンを探求した生涯-セルビアとギリシアで壁画研究をともにした思い出」が語られました。木戸先生と鐸木先生は奇しくも同じようなプロジェクトをほぼ同じ時期に両国で企画され、意気投合して互いにサポートしあったそうです。美しい聖堂と景色の中で調査研究された日々が写真とともに語られました。

1970年代の留学時代からのご友人である翻訳家の山崎洋氏と、元ベオグラード文学部教授で詩人の山崎佳代子氏による動画「セルビアからのビデオメッセージ」が流されました。洋先生からは鐸木先生が若い頃から言語センスがよく、美しい訳文を作るのが得意であったことなどが語られました。佳代子先生からは2003年に鐸木先生のご尽力で生まれた交換留学制度で岡山へ行った元・留学生によって2015年に設立された「岡山大学同窓会ベオグラード支部」についてお話し下さいました。

献杯は在大阪セルビア名誉総領事の上山直英氏によって行われました。実業家である上山氏と鐸木先生は全く違う視点でセルビアに関わっていましたが、文化芸術を愛する思いはどこか共通していました。上山氏は画家山下りんを偶然知り、今度会ったらそのことについて語り合おうと思っていただけにお亡くなりになったことが残念でたまらないとおっしゃられました。

会の最後にはご友人の長司祭イオアン長屋房夫氏が正教会の短いお祈りをされ、「永遠の記憶」を正教徒が唱和しました。会場が厳かな雰囲気となり、鐸木先生の愛した正教文化の素晴らしさが参列者に伝わったことでしょう。

「鐸木道剛先生を偲ぶ会」関係者集合写真

恩師と訪れたセルビアの修道院

私は鐸木先生と出会わなければ、セルビアで研究することも、聖堂壁画の修復に協力することもなかったでしょう。20年以上にわたるご指導に感謝してもしきれない思いです。2021年春にお病気が見つかってすぐ手術をされ、その冬には快復されたので、大変安堵したことをよく覚えています。2022年春には同大使館で先生と一緒に講演会を開き、秋には私が企画した聖堂壁画の修復プロジェクトを視察するため、先生と後輩の山崎佳夏子さんと一緒に修道院巡りをしました。しかし、2023年7月に再発され、残念ながら旅立たれてしまいました。どうか安らかにおやすみください。

2022年秋ストゥデニツァ修道院にて(右から鐸木先生、ティホン修道院長、嶋田、山崎佳夏子氏)

「鐸木道剛先生の経歴」(橋村直樹氏作成2024年6月8日)

鐸木道剛先生の経歴
1950(昭和25)年10月18日、父・鐸木晃、母・八重子の長男として大阪府岸和田市に生まれる
1969(昭和44)年3月、大阪教育大学付属高等学校天王寺校舎卒業
1974(昭和49)年3月、東京大学文学部美術史研究室を卒業
卒業論文「ジョルジョ・ヴァザーリのミケランジェロ批判」
4月、東京大学文学部大学院修士課程に進学
1975(昭和50)年2月1日、シベリア鉄道を使ってヨーロッパに向かうため、横浜港を発つ
3月30日、復活祭をローマで経験
4月25日、横浜港に帰着
この旅行で、ソビエト連邦、ポーランド、西ドイツ、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、オーストリア、スイス、イタリア、ベルギー、オランダを巡る
1976(昭和51)年ユーゴスラビア政府給費留学生としてベオグラード大学哲学部美術史学科に留学
1978(昭和53)年東京大学文学部修士課程を修了
修士論文「ビザンティン・モラヴァ派の教会堂装飾プログラムについて」
東京大学文学部博士課程に進学
1980(昭和55)年4月、博士課程を中途退学し、岡山大学文学部美学美術史研究室に助手として赴任
1985(昭和60)年山下りん研究を開始する
1987(昭和62)年4月、岡山大学文学部助教授になる
1993(平成5)年『イコン—ビザンティン世界からロシア、日本へ』(定村忠士と共著、毎日新聞社)を出版
1994(平成6)年キリスト教研究を奨励する「辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金」(立教大学)を山下りんの研究により受賞
1995(平成7)年ボグダノヴィチ、ジュリッチ、メダコヴィチ著『ヒランダル修道院』(田中一生と共訳、恒文社)を出版
2001(平成13)年6月8日、聖山アトスのヒランダル修道院の修道司祭キリルより正教徒として洗礼を受ける(洗礼名サヴァ)
明治日本に将来されたロシア・イコンの研究に従事(2002年度まで)
2004(平成16)年セルビア、ヤシュニヤ修道院聖堂壁画研究に従事(2007年度まで)
2006(平成18)年4月、岡山大学大学院社会文化科学研究科助教授に配置換え
2007(平成19)年4月、同研究科准教授となる
2009(平成20)年日本とアラスカにおけるイコン受容の研究に従事(2011年度まで)
2011(平成23)年11月27日、セルビア共和国から「セルビア国旗勲章第三等級章」を授与される
2013(平成25)年3月、『山下りん研究』(岡山大学文学部研究叢書35、岡山大学文学部)を出版
7月、岡山大学大学院社会文化学研究科教授となる
2016(平成28)年3月、岡山大学を定年退職
4月、東北学院大学文学部教授となる
東北学院大学研究ブランディング事業「東北における神学・人文学の研究拠点の整備事業」の研究(ラーハウザー記念東北学院大学礼拝堂ステンドグラス修復調査研究、ジョン・ラファージ研究)に従事(2020年度まで)
2018(平成30)年4月、東北学院大学文学部総合人文学科特任教授
2021(令和3)年4月、東北学院理事長特別補佐
2023(令和5)年4月、東北学院史資料センター研究員となる
5月末に退職
2024(令和6)年2月15日、73歳で永眠


【文/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師、セルビア科学芸術アカデミー外国人共同研究員。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版に執筆。セルビアの文化遺産の保護活動(壁画の保存修復プロジェクト)に従事する。

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