【文/町田 小織】
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Bez muke nema nauke.
かつて田中一生(たなか かずお)先生と山崎洋(やまさき ひろし)先生が編まれた『セルビア・クロアチア語基礎1500語』(大学書林)の序の中に、上記の言葉が書かれていました。セルビアに留学して最初の1、2ヶ月愛読した本だったので、ボロボロになってしまいましたが、今でも大事に持っている本です。
この言葉を、両先生は「苦労なくして学問なし」と訳されています。正論です。しかし、それを読んでいた当時の私は、セルビア人の友人たちとギリシャのエーゲ海で日光浴中でした。その時点で「私は研究者にはなれないな~」と思ったことを覚えています。しかし、そんな私でもセルビア人たちからすると「バカンス中に勉強する日本人」なのです。「小織はビーチに来てまで勉強している」と、よくネタにされたものでした。
本稿を読むような(笑)方々は「モンテネグロの十戒」をご存じでしょう。世界一怠け者であることを誇るモンテネグロ人にシンパシーを感じる私は、バルカンのゆるさにほっこりします。モンテネグロが世界一だとすると、セルビアはNO.1ではないわけですが、そのセルビアでもホッとする何かがあります。
さて、そんな「ゆる~い」セルビアとセルビア人たちとの関係も生涯に渡ろうとしています。学生の頃、一生をその国の研究に捧げたり、現地の人と結婚し、人生をかけてその国とつきあったりしている先輩方を見るにつけ、「私には無理だな~」と思っていました。私にはそこまでの覚悟も根性もありません。しかし、結局セルビアとは長い付き合いになっています。それはなぜなのか、今回本稿を執筆するにあたり、あらためて考えてみました。それは多くの人に導かれ、支えられてきたからなのです。彼らとの出逢い、そして再会によって、今の私があるといえます。My Serbiaというと、今まで出逢ったセルビア人たち、そしてセルビアに導いてくださった方々が、思い浮かびます。
これから何回かに分けて、My Serbia:私にとってのセルビアを語っていこうと思いますが、最初にその人物群、私とセルビアを取り巻く人々を紹介していきたいと思います。それが私の自己紹介にもなると思うからです。
私はセルビア政府奨学生となり、ベオグラード大学に留学したので「セルビア」のイメージが強いかもしれませんが、元々は旧ユーゴスラヴィア、バルカンへの関心から始まっています。大学時代の恩師であり、バルカン研究の泰斗である萩原直(はぎわら ただし)先生の授業「バルカン民族誌」によって、セルビアを含む南東欧への扉が開かれました。そして、バルカンの中でも、とりわけ旧ユーゴスラヴィアにフォーカスしていくのに時間はかかりませんでした。柴宜弘(しば のぶひろ)先生の著書、論文等をすべて拝読したことによって、柴先生の目を通して語られた旧ユーゴスラヴィアに魅了されたからです。ほどなくして、東京大学駒場キャンパスの柴先生の授業に参加することになります。当時は大学も牧歌的で、担当教員が了承すれば、何の手続きもなく他大学の学生が柴先生の授業を受講することができました。その柴ゼミでお世話になったのが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの歴史を研究していた柳田美映子(やなぎた みえこ)さん。そして現在は学習院女子大学教授の中島崇文(なかじま たかふみ)さん。私と同じく、他大学から柴ゼミに参加していたのが、現在は外交官である齋藤厚(さいとう あつし)さんです。
そして、柴先生より岡山大学(当時)の鐸木道剛(すずき みちたか)先生をご紹介頂き、日本ではおそらく鐸木先生しかお持ちでないセルビア語の学術書をお借りしたり、ベオグラード大学の山崎佳代子(やまさき かよこ)先生へ繋いで頂き、留学の手続き等を支援して頂いたりしました。
ベオグラードに行ってすぐに出会ったのが、富永正明(とみなが まさあき)さんです。現在は駐日セルビア共和国大使館に勤務されています。また当時、ベオグラードの日本大使館にいらしたのが、坪田哲哉(つぼた てつや)さんです。現在も同大使館に勤務されています。またベオグラード大学での指導教授は、ミロラド・エクメチッチ(Milorad Ekmečić)先生でした。これも柴先生のおかげです。エクメチッチ先生の下で、柴先生の愛弟子ともいえる山崎信一(やまざき しんいち)さんと一緒に学ぶことができました。
現地では、山崎佳代子先生のおかげで、ベオグラード大学言語学部日本学科の非常勤講師を務めることとなります。1年生のオーラルを担当したのですが、その時の教え子が現在駐日セルビア共和国大使館特命全権大使であるアレクサンドラ・コヴァッチュ(Aleksandra Kovač)閣下と大使秘書の長門ティヤナ(Tijana Zdravković)さんです。そして3年生の日本事情も担当したのですが、その時の受講者が、現在は翻訳家で立教大学非常勤講師のイーリャ・ムスリン(Ilja Musulin)さん、プーラPula(ユーライ・ドブリラJuraj Dobrila)大学助教授のイレーナ・スルダノヴィッチ(Irena Srdanović)さん、ベオグラード大学助教授のダリボル・クリチコヴィッチ(Dalibor Kličković)さんとディーブナ・グルマッツ(Divna Glumac)さん。現在はドイツで大使を務めるスネジャナ・ヤンコヴィッチ(Snežana Janković)閣下は日本学科の同僚のひとりでした。
このように一人ひとりの名前を挙げてみると、まさにセルビア×日本のキーパーソンと言える人ばかりであることがわかります。もちろん、近年出逢ったセルビアにゆかりのある方々も多く、その人たちもセルビアと日本にとって重要な人物なのですが、前述の人々との邂逅が私の原点なのです。
最後に、冒頭の金言に立ち返りましょう。私は「苦労なくして学問なし」の言葉通り、セルビアの歴史家にはなれませんでした。でも、ジョークが好きなセルビア人にはこう言われるかもしれません。「小織、この言葉には続きがあるんだよ。Bez muke nema nauke, ali nema veze!!(苦労なくして学問なし。でもそんなの関係ねぇ)」。
【文/町田 小織(まちだ さおり】セルビア政府奨学生としてベオグラード大学哲学部歴史学科へ留学。ミロラド・エクメチッチ教授に師事。ベオグラード大学言語学部日本学科にて非常勤講師。2013年度より東洋英和女学院大学に勤務し、現在に至る(所属:国際社会学部国際社会学科)。2016年度よりセルビア大使館と連携した科目(PBL)を立ち上げ、7期生まで輩出。 2022年度は同大学生涯学習センターにて大使館と共催の講座開講。主な著書に『メディアとしてのミュージアム』(春風社)。