【文/嶋田 紗千】
ベオグラードの夏は非常に暑い。日本よりも湿度は低いので朝夕は過ごしやすいものの、日中は強い日差しと高温で本当につらい。そのため、ベオグラードの人は夕方以降しか外出せず、多くの人がリゾート地(ギリシアやクロアチアの海、セルビア国内の避暑地)へ向かう。
私は調査で滞在するので、あまりリゾート地へは行かないのだが、昨年の夏は聖パンテレイモンのスラヴァ(家庭の守護聖人を祝う日)と洗礼式に招かれたので、現地の友人と一緒にセルビア中部にある町アリリェの山奥のペンション「Etno domaćinstvo Mitrović」に3泊した。
聖パンテレイモンはフレスコ画によく描かれる、とてもポピュラーな聖人である。3世紀にニコメディア(現在のトルコの一部)で生まれ、医師として難病を治したことで非難されて殉教し、のちに医師聖人となった。病人やその家族が治癒を願って敬う聖人ということである。セルビアの聖サヴァがこの聖人に捧げられたアトス山の修道院で修道士となったため、セルビアで崇敬が広がり、家庭の守護聖人とする家もある。聖人の日である8月9日(旧暦7月27日)には聖パンテレイモンへの祈りが各地で捧げられる。

緑に囲まれたペンション
アリリェはラズベリーの生産地として有名で、山と森林、小川がある緑豊かな地である。丘を切り開いて建てたペンションにはレストラン、カフェ、プール、スパ(サウナ、バス)がある。部屋は壁と天井が木製で、床が赤煉瓦の温かみのある落ち着いた雰囲気。部屋にはシャワーとトイレがあり、どこもきれいに掃除されていた。テラス付きの部屋を用意してくれたので、テラスでおしゃべりしながら景色やプールを望みながら過ごすことができた。
ペンションで飼育している家畜が時々柵から抜け出し、豚や鶏が庭をお散歩することがある。とてもほのぼのとした情景である。窓の外には美しい緑の山々が広がり、夕陽が沈む様子を眺めることができる。近くには小川やラズベリー園があるので、澄んだ空気の中、散歩するのも心地良い。
シェフのゴルダナさん
このペンションの名物はシェフであるゴルダナさんが作る地元料理である。希望を伝えると、その時可能な料理を提供してくれる。新鮮な野菜のサラダ、チョルバ(豚のスープ)、焼きマッシュルーム、プレスカヴィツァのカイマク添え(セルビア風ハンバーグ)、鶏肉のグリル、フルーツのパイなどをいただいた。どれも綺麗に盛られ、愛情のこもった料理だった。
ゴルダナさんは3人の娘を一人で育てた肝っ玉母さんで、今では孫が4人いるそう。たまに孫の面倒をみに200キロ以上離れた町まで一人で行く。なんとパワフルなおばあちゃんなのか‼ 地方特有の控えめな性格に、優しさが溢れる素敵な女性である。



ゴルダナさんの弟であるオーナーがオーストリアで働いていたことや、娘婿が日本人なこともあり、外国人も比較的よく来るそうだ。もちろん地元の人々がカフェやプールだけ利用することもある。広いレストランでは結婚披露宴や誕生日会を開くこともあるそうだ。
カフェと広いプール
夏はカフェのテラスでのんびり景色を楽しみながら食事やお茶を楽しむことができる。時間帯によっては広いプールを独占して泳いだり、日光浴したりして過ごすことができる。夜は星がよく見え、とても静かで落ち着いているので熟睡できる。都会の喧騒を離れて、大自然の中でゆっくり休暇を過ごすというのはこういうことかと改めて感じられるひとときだった。
ちなみに私はセルビアでよく修道院に滞在する。自然に囲まれた環境は似ているが、毎日の祈りのスケジュールが決まっているので意外と忙しい。それに合わせてせっせと働く修道士や修道女と一緒にいると同じペースになってしまう。
たまにはのんびりした時間をとることも大切だと思ったが、アリリェの後は7ヶ所の修道院を巡り、その都度お祈りに参加し、自分の調査をして作業を手伝ったりして過ごしてしまった。私にはセルビアでのんびり過ごす時間はいつもない。

【文/嶋田 紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師、セルビア科学芸術アカデミー外国人共同研究員。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版に執筆。セルビアの文化遺産の保護活動(壁画の保存修復プロジェクト)に従事する。