LIFEセルビアスウィーツ界の女王「モスクワ・シュニット」【セルビア移住生活:第5回】【文/小柳津 千早】 先日、ベオグラードにある1908年開業の老舗「ホテル・モスクワ」の名物スウィーツ「モスクワ・シュニット」を食べました。サワーチェリー、桃、パイナップル、アーモンド、くるみ、秘伝の特製クリームを使ったケーキです。甘酸っぱ...15
続きを読むLIFEリヒャルト・ゾルゲとブランコ・ヴケリッチ/1933年から1941年にかけての日本におけるスパイ網 ゾルゲ(左)とヴケリッチ 【文/本田スネジャーナ】 恐らくは第二次大戦のもっとも有名なスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、ソ連のスパイだった。日本ではジャーナリストとして働いていた。ユーゴスラビア人ブランコ・ヴケリッチも所属していた自身のスパイ網...1223
LIFE日本とは異なる保育園事情 1ヶ月間息子を送迎して分かったこと【セルビア移住生活:第4回】保育園の玄関 【文/小柳津 千早】 セルビア移住生活を始めて1ヶ月が経ちました。今回は3歳の次男の保育園について簡単にご紹介したいと思います。 次男が通っていた日本の保育園は異年齢保育を採用していましたが、セルビアでは完全なクラス制です。2...1119
LIFE秋の青空市場で見つけた旬の野菜と果物【セルビア移住生活:第3回】インジヤの市場 【文/小柳津 千早】 私が住むセルビアのインジヤという町には農産物や日用品を購入できる市場があります。広さはおよそ3300平方メートルで、50以上の屋台と店舗が並びます。営業日は毎週水・土曜日。お目当ての品を求めて多くの人で...1111
続きを読むLIFEYouTubeチャンネルを開設しました【セルビア移住生活:第2回】【文/小柳津 千早】 セルビアの自然、文化、日々の日常を自身のYouTubeチャンネル「セルビア暮らしのオヤ」で配信します。これはセルビアに来て一番やりたかったことです。 セルビアでの語学留学から帰国して10数年、初めての東京暮らしはとても...111
続きを読むLIFE東京からセルビアへ 小さな町で新たな暮らしがスタートしました【セルビア移住生活:第1回】【文/小柳津 千早】 こんにちは、My Serbiaの小柳津(おやいず)です。 私は9月末に2011年から10年間勤めたセルビア共和国大使館を退職して、10月16日よりセルビアでの移住生活を始めました。 現在はセルビアの首都ベオグラードの北...1022
LIFEレッドスターのセカンドチームを密着取材した日々のこと【セルビア蹴球旅】【文/石川 美紀子】 今年の夏も、コロナ禍の中ではありましたがセルビアに飛び、1か月ほど滞在していました。今回は、ひょんなことからセルビア・プルヴァリーガ(2部リーグ)のグラフィチャル(RFK Grafičar)というクラブを密着取材した話...929
LIFEセルビア人は夏休みにどこの海に行く?【文/小柳津 千早】 セルビア人は海が大好きです。夏休みに海に行くために一年働いていると言っても過言ではありません。セルビアは内陸国で海がないため、ドナウ川のような大きな川や地方を流れる小さな川、湖や池のほとりでのんびりと過ごすこともできま...810
LIFEミルンカ・サヴィッチ (第一次世界)大戦の女傑・英雄ミルンカ・サヴィッチ 【文/本田スネジャーナ】 セルビアは多くの戦争を闘ってきたが、“大”という文字を使って大戦と呼ばれるのは、 ただ一つだけである。それは1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦であり、セルビアの歴史の中で格...82
LIFE世界中の誰もが分かるようにセルビア語を喋れ!【文/高橋 ブランカ】 故郷セルビアを後にして26年経ちました。年に一度の里帰りを欠かさずしてきましたが、去年はコロナの流行で初めて帰れませんでした。そして今年の春、夫の転勤でドイツのフランクフルトに行くことを周りに告げたら、知人たちは口を...628
続きを読むLIFE「My Eyes Tokyo」でティヤナのインタビューが公開されました【文/古賀 亜希子】 「ティヤナさんってどんな人ですか?」 そのようなことを聞かれることが時々あります。 私たちが知るティヤナは、いつも穏やかで優しく聡明な女性。 大使秘書という職業を持ちながら、休日には自宅で料理教室を開いたり、Tiki’...622
LIFE青春の幻想を生きる(2) ―私のセルビア学―【文/岸山 睦】 1984年に、セルビアでの約半年の留学から帰国した(※前回の記事はこちら)。短い滞在であったのに多くの人が心に残った。その後何年か学習塾、大学の非常勤などで英語を教え、1990年に運よく昭和女子大学の専任講師として招聘され...67