【文/嶋田 紗千】
セルビアの修道院で日本製品と出会うとは想像したこともありませんでした。偶然連れて行ってもらった修道院で日本製品を愛する一人の修道女さんと知り合いました。
修道院の見えない壁
修道院はなかなかハードルが高いところで、ただ教会を訪れるだけならば、誰でも可能ですし、またお祈りに参加することもできます。しかし、そこにある壁画を撮影したい場合、教区から許可を得なければなりません。知り合いを通して頼むか、直接メールや電話で問い合わせます(もちろん返信がないことも多々)。また修道士さんや修道女さんとお話をするには仲介者が必要です。ましてバックヤードの見学はそれなりに認めていただかなくてはなりません。
「テラスでお茶」<「食堂で昼食/修道士さんたちと応接間でお茶/宿泊」<「来賓用応接間で修道院長とお茶/アトリエや作業場見学」とハードルが上がっていきます。仲介者はその地域に住んでいて、その修道院によく行き、協力している信者または聖職者にお願いするのがベストです。しかしそう簡単に仲介者は見つかるものではありません。いつもそれが私の悩みです。
昨年9月に講演を依頼してくれたニコラさん(小中学校の教師)はまさに素晴らしい仲介者でした。お蔭で修道院付属のイコンアトリエと服飾アトリエを見学させていただきました。修道院はそれぞれ主要生産物(生産品)が違います。一番多いのが果物や野菜の農業、それに伴いワインやラキヤといった酒蔵、牛や山羊などの畜産や魚の養殖です。イコン制作や服飾業を行っているところは比較的少ないといえます。特にその産業を担っているは女子修道院のことが多く、ハードルはさらに上がります。
ラシュカにあるコンチュル修道院
この修道院は14世紀の大主教ダニーロ2世が修行したところとして知られています。古い聖堂の基礎の上に12世紀に造り直され、セルビア人の大移動(17世紀末と1730年代にオスマン帝国の支配が強まり多くのセルビア人が北部へ避難)の後に破壊され、19世紀に再び建て直しています。敷地内にはかつてのコナック(宿坊)や食堂の建物跡、古いお墓が今もしっかりと残っています。
ストゥデニツァ修道院のティピック(修道院憲章)によると、ステファン・ネマニャ(ネマニチ王朝の創始者)が12世紀にここの聖堂を復興したとのこと。当時ラシュカはセルビアの中心地だったため、かつての繁栄が想像できる修道院です。以前は男子修道院でしたが、現在は女子修道院として活動しています。
コンチュル修道院の服飾業は20年の歴史があり、聖職者の祭服やお祈りで使う様々な布製品を作っています。そこで日本製品が使われているのです。
修道女アナさんと日本製品
アナさんはコナック二階のアトリエへ案内してくれ、誇らしげに日本製の刺繍用ミシンと糸、そしてそれらを使って制作した祭服などを見せて下さいました。
「日本のミシンは長く使え、糸がもつれることもなく精密で、装飾のバリエーションが自由に設定できる点がいいです。日本の糸は耐久性があり、光沢が良く、変色しにくく、何よりも切れにくい。糸がもつれたり、切れたりすると作業を止めなければならないので、日本のミシンと糸は本当に素晴らしく、技術力の高さを実感しています」
と興奮気味に語って下さいました。
私はアナさんの日本製品を愛する思いに圧倒されて、なんだか日本人としてとても嬉しくなりました。ちょうど知り合いが典院(高位修道司祭の称号)に昇叙されたので、お祝いに祭服を注文してみようかと思います。祭服は10年以上着用するものだけに耐久性が求められます。日本の丈夫な糸を送ってあげたら喜ぶことでしょう。
日本企業へ問い合わせると
私は修復プロジェクトで日本企業とセルビアの間を取り持つようになり、日本企業の迅速で丁寧な対応にいつも感動します。今回の問い合わせでも非常に丁寧なメールをいただきました。こういうところが日本の良さなのだと改めて感じました。
質問事項
①世界何か国 ②セルビアへはどこの国(商社)経由 ③外国で最も購入する国 ④何を刺繍しているのか 等
糸のメーカー「エンゼルキング」担当者さん
「セルビアでのお話や素敵な写真も見せていただき嬉しく存じます。セルビアの山の中にある修道院で弊社の金銀糸が使用されていると教えていただき、とてもビックリしました」
と、自社製品の使用場所に驚かれていました。
「ご質問いただきました貿易の件ですが、弊社ブランドの<エンゼルキング>は、ヨーロッパ方面ですとイタリアに代理店がございます。もしかしたら、どちらかの日本商社さまから直接お送りされているかもしれませんが、セルビアの位置を考慮すると、イタリアの代理店からではないかと思います。金銀糸の販売では、イタリアが一番多く、ハイブランドなどに使用していただいているようです。基本的に洋服や帽子等の被服製品に使われているようです」
ファッションの都ミラノがあるイタリアで好まれる糸というのは日本人として嬉しいですね。ハイブランドにも使われている糸がセルビアの祭服でも使われているというのは益々誇らしく感じました。祭服は採寸して、一人一人の身体にあったものを制作します。その上正教のルールに従って模様や色を選び刺繍します。少しだけその聖職者の好みを入れることができるそうです。まさにオートクチュール!
ミシンのメーカー「ハッピージャパン」東欧エリア担当者さん
「刺繍用ミシンは全世界約60か国に販売代理店があり、セルビアにも代理店があります。その代理店から修道院に販売していると聞いたことがあります。現在メインで販売している国はアメリカ、メキシコまたはイギリスを始めとするヨーロッパで、ネーム刺繍やワッペンなどの制作に使用されています。なお日本での販売は全体の2%未満で、海外を中心としております」
GDPランキング82位(2022年)の小国セルビアにも代理店があるとは驚きました。セルビアは「手作り」を愛する国。仕立屋や友人に洋服を作ってもらったという話はよく聞きます。「手作り」に価値を見出すからこそ、高額でも高性能な日本ミシンを使用してくれるのだと思いました。
ちなみに現地在住の友人によると、日本の裁縫用品はセルビアでは2倍以上の価格がするそうです。物価を考慮すると、日本で買う10倍くらいの価格設定ということです。それでも日本製品を選ぶ理由は、効率的に生産できる安定性と質の良さだと改めで感じました。「地道なものづくり」が世界の至るところ ―セルビアの山奥ですら― に普及してその良さを実感した人々によって日本への信頼が育まれるのかもしれません。
「ハッピージャパン」担当者さんからセルビアの販売店も教えていただきました。「Marathon Ex Yu(旧ユーゴ・マラソンの意)」という社名で、メールアドレスのドメインの末尾が「セルビア共和国」を意味する“rs”ではなく、20年前まで存在していた「ユーゴスラヴィア」の“yu”をまだ使っている、何だかこだわりの強い雰囲気が漂う会社です。
Marathon Ex Yuのホームページは何故か開けませんでしたが、Facebookにはハッピージャパンの刺繍用ミシンだけでなく、日本のミシンメーカーTOWAのボビンやエンゼルキングの金銀糸が掲載されていました。コンチュル修道院は以前TOWAのミシンを使っていたと聞いているので、セルビア国内でまだ使っているところがあるかもしれません。
エンゼルキングの糸はどこから購入しているのか問い合わせてみましたが、まだ返信がきません。一ヶ月くらい後に何事もなかったかのように普通にメールがくるかもしれません。私はこれを「セルビア的時差」と呼んでいます。気長に待ちます(苦笑)。
【文/嶋田紗千(Sachi Shimada)】美術史家。岡山大学大学院在学中にベオグラード大学哲学部美術史学科へ3年間留学。帰国後、群馬県立近代美術館、世田谷美術館などで学芸員を務め、現在、実践女子大学非常勤講師、セルビア科学芸術アカデミー外国人共同研究員。専門は東欧美術史、特にセルビア中世美術史。『中欧・東欧文化事典』丸善出版に執筆。セルビアの文化遺産の保護活動(壁画の保存修復プロジェクト)に従事する。